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2004年10月31日
人の一日は一生
ある人が、人の一日は一生に例えられる、と言いました。早朝~11時が胎児から青年。 11時~壮年血気の時代に入り、夕方になると老境に入り、夜になると世を去る、と。
この例えもどうかな?と思う半面、中々面白いと思います。エマーソンという人が、「一日を失う者は、一生を失う者である」と言ったそうですが、確かに聖書にも時間の用い方について言及している箇所が幾つかあります。
一日の始まりをどのように過ごすか。勝利の確信を得てから始めるか、慌しくスタートを切るか。「一日の計は早朝にあり」という諺もあるそうです。朝の出発時を大切にしたいですね。
ある信仰の篤い人が「私は毎朝早く起き出でて、かの茶褐色の上着を着た、小さな動物に遅れをとらぬよう、神を礼拝したいのだが、ややもすれば彼に先んぜられて困る」と言ったそうです。茶褐色の上着を着た動物とはスズメのことだそうです。
私も朝は苦手なものですが…朝の祈りを大切にし、祈りの内に勝利を握り締めましょう。
2004年10月31日
投稿者 satochan : 13:58 | コメント (0)
2004年10月24日
アメリカから帰国
21日、無事にアメリカから帰ってくることが出来ました。皆さんに祈りによって無事に帰って来ることが出来たと、感謝しております。
というのも、20日に飛行機は名古屋に着陸したのですが、ちょうど台風の時で、飛行機の揺れは激しいものでした。無事に着陸した時、機内には拍手が起こるほどでした。
さらに、風と雨が激しかったので、機内から荷物を降ろすことが出来ないので、預けた荷物は全て航空会社が直接発送することになりました。
そして、外に出てみると空港から出る交通機関は全て運休…帰る手段がなくなりました。
そこで群のN教会(空港から30分程の所)に電話をし、K先生に迎えに来てもらい、教会に一泊させて頂きました。
先生方との交わりの中で、ここに来たのも導きがあったからだ、ということを感じました。
アメリカでの報告もいつかさせて頂きたいと思いますが、本当に神さまの導きの中で、たくさんの祝福を頂きました。感謝!!
2004年10月24日
投稿者 satochan : 13:56 | コメント (0)
2004年10月17日
分区青年部の修養会
分区青年部(愛称ハレルヤ南信、略してハレナン)の修養会が行われました。今回は「聖書」について学びました。
参加者の中からは、イエスさまを信じる人も起こされました。また、参加者一人ひとりが、これからは聖書を読む。通読する。教会に行く等、それぞれの決心をしました。
この修養会の中で講師が繰り返し語っていたことの一つに、聖書を通してイエス・キリストと出会う、というのがありました。
神さまと出会うことなく聖書を読むならば、聖書の言葉は律法となり、義務で読むので、読まない人を裁くでしょう。そして自分自身を殺してしまいます。
何のために聖書を読むのでしょう。それは修行のためではない、徳のためでもない、イエスさまと出会うために読むのです。
イエスさまに出会い、イエスさまからの語りかけとして聖書を読むならば、聖書は人を殺す文字とはならず、人を生かす霊、力、慰めになるのです。聖書に親しむ生活を送りましょう。
2004年10月17日
投稿者 satochan : 13:56 | コメント (0)
2004年10月10日
Tさん
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(使徒16:31)
教会員のK・Mさんのご主人Tさんが、先週天に召されました。
9/27、私がTさんをお見舞いに行き、別れ際に「イエスさまを信じてね」と言いましたら、「うん、信じる」と素直に返事をしてくれました。
頑なに信仰を拒み続けてきたTさんだっただけに、その言葉が以外で、こちらが驚いてしまいました。そして「洗礼式もしましょうね」と言うと、「それは任せる」と。
でも、その場ですぐに洗礼式をせず、日をおきました。その結果、Tさんは昏睡状態に陥ってしまいました。「まだ元気そうだったのに…なぜあの時すぐにしなかったんだ!!」と私は自分を責めました。
病院に行き、昏睡状態のTさんに声をかけると、私の方に手をのばしてくるのです。病床洗礼をしました。Tさんの右目から涙がこぼれました。主が確かな救いを忠義さんに与えられた確信が与えられました。ハレルヤ。
2004年10月10日
投稿者 satochan : 13:54 | コメント (0)
2004年10月03日
エステル
紀元前400年代、捕囚の民となったユダヤ人は民族絶滅の危機に直面しました。その時、王妃となったエステルは伯父のモルデカイから言われます。この時、あなたが口を閉ざせば救済は他から来る。でもこの時のためにあなたは王妃の位にいる!!(エステル4:14)と。
その言葉を聞いたエステルは、出来るだけのことをする覚悟を決めました。そして「このために死なねばならないのなら、死ぬ覚悟でいます」(同16節)と答えます。
今を何気なく過ごすことがあるかも知れません。でも、神さまは一つのご計画のために私を生かし、この場に置いて下さっているのです。
もしあなたが人に福音を伝えなければ、助けなければ、救いに導かなければ、神さまは別の助け手、導き手をその人に送られる。でも、あなたが、今そこにいるのは、他の助け手を待つためではない、そのことを成すためではないのか!?
主は私たちに自分の務めを成すように求めておられます。今日、私たちは何をなすべきでしょう?与えられた務めを果たしましょう。
2004年10月3日
