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2004年12月26日

若い女性

 18日(土)、一人の若い女性が尋ねて来ました。彼女はある教会員の友人で、以前より祈りの課題で祈っていた方でした。
 彼女と話しをしている内に、彼女はイエスさまを救い主として信じます、と告白しました。そして一緒にお祈りをしました。嬉しい一時でした。
 それから4日後、彼女は病のため天に召されました。本当に急だったため、大きなショックを受けました。
 すると、彼女のご遺族より、ぜひキリスト教式で葬儀を行って欲しいと申し出を頂きました。
 23日(木)前夜式、24日(金)葬儀を行いました。ご遺族をはじめ、多くの友人や関係者の方が来られました。そして召された彼女が神の子とされて、天国にいる、ということに確信を持たれたようでした。
 彼女は一粒の麦として地に落ちた、そんなことを思わされ、悲しみを覚える中にも希望があり、慰めがある、そんな葬儀でありました。
 福音は私たちの希望となり、慰めとなります。

2004年12月26日

投稿者 satochan : 14:15 | コメント (0)

2004年12月19日

クリスマス礼拝

 本当かどうかわかりませんが、ユダヤ人は集ると、必ずジョークの交換をするそうです。ジョークは知的なコミュニケーションの手段というのです。
 ヘブラル語でジョークにあたる言葉は「ホフマ」と言い、他に「智恵、英知」とも訳せる言葉です。
 アインシュタインは学校が嫌いだったそうですが、その彼はこう言ったそうです。「私にとって最大の学校は、ジョークであった。」と。
 余裕を持たない心からジョークは生まれないそうです。ジョークには常識や世のルールに縛られない自由な発想が求められるからです。
 ジョークは私たちがいかに世のルールに縛られているか、いかに無駄なものを大切にしているかを知らしめる道具でもあります。
 クリスマス。神が人を救うために、人になって下さったことを記念する日。ジョークのような話しですが、これは実話です。
 神さまは、常識を突き破った業を成して下さいました。クリスマス、心を解放し、神さまにある笑い、喜びで満たされましょう。

2004年12月19日
<クリスマス礼拝>

投稿者 satochan : 14:15 | コメント (0)

2004年12月12日

地区役員研修会

 先日の地区役員研修会の会計分科会で、喬木教会の発題がありました。皆さんからのアンケート結果、教会の歴史を紹介していましたが、その中で、一人の方の言葉が紹介されました。
 「教会は自分が恵みを受ける場所だと思っていたが、自分が献げ物をする場所だと教えられた。それから出来うる限り献げ物をするようになった。でもそのことで、より多くの恵みを受けた」という内容でした。
 私たちの信仰は、まず神さまが私たちに最高、最大の愛を捧げて下さったところから始りました。この愛に応答すると、当然私たちも自分を捧げるようになります。
 一般的な概念からは、捧げることで「減る」と考えるのですが、信仰の世界においては捧げることで祝福され、「増える」のです。
 神さまが、私たちに独り子が与えられたことを記念するクリスマス。私たちは何を神さまにお捧げするでしょうか?神さまが喜ばれる最高のプレゼントを、神さまに捧げるようにしましょう。

2004年12月12日

投稿者 satochan : 14:13 | コメント (0)

2004年12月05日

ゴスペルのコンサート

 昨晩、ゴスペルのコンサートに行ってきました。聞きながら一緒に讃美をし、本当に恵みの一時を過ごし、感謝でした。特にその中で感動したことがあります。
 それは、クワイアーの中でまだイエスさまを受け入れていない(?)人々が、クリスチャンと共に輝き、一致して、しっかりと主をほめたたえているということです。
 時にクリスチャン同士でも一致するのは難しいのに、ゴスペルでは「一致」があり、主の御名がほめたたえられている…
 ゴスペルが、教会と一般社会を繋ぐ役割を見事に果たし、なお「一致」をもたらし、讃美を捧げさせている!!何と感動的なことではないでしょうか。
 教会はキリストの体である、と言われますが、内部で各々批判しあい、一つになれない。これほど悲しいこと、御名を汚すことはありません。
 性格も、年代も、育った環境も違う私たちが、主の御名をほめたたえることで一致できる。何と言う恵みでしょうか。讃美しましょう。

2004年12月 5日

投稿者 satochan : 14:12 | コメント (0)