« 2005年01月 | メイン | 2005年03月 »
2005年02月27日
祝福された懇談会
先週は祝福された懇談会を持つことが出来、本当に感謝でした。小グループだから、皆が話をすることが出来ましたし、お互いの現状をじっくり聞くことが出来ました。このような小グループの交わりを、頻繁に持つことが出来れば、お互いの信仰生活の励みにもなるかなぁと思わされました。
ある方はビジョンの定義としてこのように言いました。「ビジョンとはむしろ変化し続ける状況にぴったりと適応し、益と成し得る能力」と。
私たちの信仰は、一人で守り抜くには本当に難しい環境に置かれているのではないでしょうか。常に恵まれ、祈り祈られる信仰生活を送ることが出来れば、どんなに幸いでしょう。
今回の懇談会で、その手段の一つとして、小グループの交わりを持てれば良いかな、と思わされました。ただ、その手段や方法については、全く不明のままです。
皆さんにも、小グループ必要性の有無から、その方法に至るまで、考えて頂き、皆のビジョンを合わせた形が形成できたら素晴らしいですね。
2005年2月27日
投稿者 satochan : 14:24 | コメント (0)
2005年02月20日
信仰とは
信仰とは一体なんでしょうか?聖書は、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(ヘブライ11:1)と言います。そしてその信仰は、神を喜ばせることが出来るようです(同11:6)。
見えないもの、まだ現実になっていないことを期待しながら待ち続ける、というのは非常に難しいものがあります。特に期待しては裏切られる、という傷を過去に負っていたら、それは本当に難しいことでしょう。
ですから、信仰には「忍耐」が必要になってくるのです。考えてみれば、親が子を育てる時、子に期待する分、子を愛する分「忍耐」をするようになります。
イエスさまは、私の名において何でも願いなさい、そうすればかなえられる(ヨハネ14:13)、と言われました。ただし、そこには「いつ」という時間制限はありません。
神さまを信じている、愛しているなら、期待をかけた分、忍耐して待ち望みます。主は決して裏切らない。忍耐により、信仰の勝利を得よう。
2005年2月20日
投稿者 satochan : 14:24 | コメント (0)
2005年02月13日
イエスさまが地上に来られた理由
イエスさまが地上に来られた理由は何でしょうか?「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)とあるように、信じる者が裁きに会うことなく、永遠の命を得るためであります。
ですから、イエスさまを救い主として信じることで、ひとまず安心出来ます。ところが、他の聖書箇所を見てみると、天の国に入るのは「わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」(マタイ7:21) とありますし、「私たちは皆、キリストの裁きの座に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていた時に行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです」(2コリント5:10) とあります。
イエスさまを信じる、とはどういうことでしょうか?これは「知る」とは違いますね。イエスさまを救い主、主として受け入れることですから、イエスさまに従い、その御心を成すことが求められます。しっかり主を信じ、その御心を日々求め、天の御国に対する確信を新たにしましょう。
2005年2月13日
投稿者 satochan : 14:23 | コメント (0)
2005年02月06日
天国
天国って本当にあるのでしょうか?「天国と地獄」これは本当の世界でしょうか?もし、それは嘘の世界である、と信じるならば、「今」が楽しく、それなりに過ごせれば良いですね。
でも、本当ならばどうなのでしょうか?聖書は、私たちがこの地上の生涯を終えた後、死後の世界、天国と地獄があることを明確に述べています。
それだけではありません。天国がいかに素晴らしい所であるのか。また地獄がどれだけ恐ろしい所であるのか、死後の世界を知らない私たちに神は聖書を通して将来を教えてくれます。
イエスさまは、私たちを天の御国、天国に招くために来られました。そして私たちが天国に入るために、大きな犠牲を払われました。その命であります。
私たちは、見ているものに向かって行きます。見ているもので判断し、決断します。私たちがやがて行く永遠の世界はどのような世界でしょうか?神の素晴らしい御国、ここに行く為に、日々の歩みを整えましょう。
2005年2月6日
