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2005年05月29日

子どもになろう

 天の国で一番偉い人が誰か?という弟子たちの質問に、イエスさまは小さな子どもを真ん中に立たせ、「子どものようにならなければ天の国に入ることは出来ない。自分を低くして、この子どものようになる人が、天の国で一番偉い」(マタイ18:3,4)と答えました。
 子どもの仕事は「遊ぶ」ことです。遊ぶ中で、新しいことを学び、探求し、挑戦する。この中で培われる能力がやがて、大人になった時に役立つようです。
 生き方に「遊び」がなくしてしまうと、変化する環境に適応できなくなってしまうそうです。
 自分の信念や主張があるでしょう。時に自分の信念を通すことが出来ない現実に腹を立て、怒り狂う時もあるでしょう。そんな時、子どもが親を全く信頼するように、自分の思いを全て主にお委ねし、その環境を楽しみ、遊べるようでありたいと思います。
 全ては全知全能なる神さまの御手の中にあり、主が最善をなして下さる。この事実を受け入れる時、子どものようになれるから感謝。

投稿者 satochan : 20:54 | コメント (0)

2005年05月22日

恐れを捨てる

 聖書の神は、私たちに繰り返し「恐れるな」と命令し、励ましを下さいます。私たちが恐れなくて良いその根拠は、私たちの信頼する神ご自身が全知全能なるお方だからです。
 ある方の相談を受けました。信仰を持った方の、信仰生活の中で起こった問題についてでした。それだけに、聖書のメッセージをストレート伝えたら、重荷になるのでは...という思いを私が抱いてしまい、神さまを隠すような態度を取ってしまいました。
 後で祈った時、心が責められる思いがしました。何を責められているのだろうか?と心を探ってみると、その相談に対する態度についてでした。
 問題が起こった時に、神さまに信頼できない、というのはどういうことでしょう。天地万物の創造主よりも、自分の方が有能である、ということです。又、神の知恵を求めないことは、自分の方が賢い、ということになります。この勘違いが、恐れを引き起こすのです。全てを治める神を信頼し、恐れを捨て去りましょう。

投稿者 satochan : 19:56 | コメント (0)

2005年05月15日

御心中心

 エジプトを脱出して、約束の地に入ろうとしたイスラエルの民に、神さまは「それぞれ自分が正しいとみなすことを決して行ってはならない」(申命記12:8)とおっしゃいました。
 耳を疑いたくなるような言葉ですよね。「自分が正しいと思うことをしてはいけないの?なら好き勝手し放題、滅茶苦茶な世の中になるぞ」と思ってしまいます。
 でもその言葉は、「こうして主が正しいとみなされることを行うなら、あなたも子孫も幸いを得るであろう」(同12:25)と繋がります。
 自分が正しい、と思うから良いことも出来るのですが、反面、戦争、争いにも繋がることがあります。自己満足、自己中心の域を出ないからです。
 私たちが自分の基準を捨て、主の基準に合わせて生きるなら、「子孫も幸いを得る」と、幸いが自分だけに留まらず、周りの人にまで及ぶと約束されているのです。
 日々御言葉に親しみ、御心を行う生活を送りましょう。デボーションが祝されますように。

投稿者 satochan : 10:52 | コメント (0)

2005年05月08日

幼子の祈り

 先月のことですが、娘の保育園で親子遠足がありました。娘は楽しみにしておりました。又、昨年は雨で、外で遊べなかったので、今年は絶対に晴れて欲しい、と願っておりました。
 週間天気予報を見ると、その日は雨でした。それでも娘は祈りました。「神さま!!絶対晴にして下さい!!晴にして、18℃にして下さい!!」と繰り返し繰り返し祈り続けていました。本人は気温のことはよく理解していないのに、気温まで指定することに驚きました。
 その姿に母親は、神さまが祈りに応えて下さる方であることを娘に知ってもらいたいと、そのために祈っておりました。
 その日が近づいてくる度に、週間予報の天気が変わります。前日になると、曇りのち晴れになりました。当日、うっすらと雲のかかった日となり、天候は守られ、気温は17℃。
 神さまが、祈りに応えて下さるお方であることを覚える出来事でした。常識や情報に翻弄されることなく、神の全能の御業を期待して祈る幼子の祈り、見習いたいですね。

投稿者 satochan : 20:49 | コメント (0)

2005年05月01日

最高の奉仕

 イギリスには女王がいて、日本には天皇がいますが、そのような人たちに仕える人々は、どのような思いを持って働いているのでしょうか?実際に会って、話しを聞いたことはないのでわかりませんが、国を象徴する人に仕えるのですから、その働きに誇りを持っているのではないのでしょうか。
 教会では「奉仕」があり、私たちに日常生活の常識で考えれば、「仕える」よりは「仕えられる」ことを選び取りたいと思います。
 でも、私たちの仕えるお方はどのようなお方でしょうか。天地万物を造られ、全てをご支配なさるお方。全てのものの上に高く座したもうお方…はかり知ることが出来ない程の偉大なお方であります。
 もし私たちが、この「お方」に仕えている、という認識をしっかり持つならば、「奉仕」は「勤め」や「習慣」や「強制」にはなりませんね。このお方に奉仕できることを何よりも「誇り」とし、このお方を喜ばすことを自分の喜びとします。
 主に最高の奉仕を捧げましょう。

投稿者 satochan : 22:38 | コメント (0)