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2005年06月26日
祈りのサポート
1分間に17人(内子どもが12人)。1日に2万5千人。1年間に1千万人。さて、これは何の数字だと思いますか。これは、飢えのために生命を失っている方の数です。(「飢餓対策ニュース」日本国際飢餓対策機構発行より)
先日、日本国際飢餓対策機構で働く方が教会に挨拶に来られました。その時にお話をお伺いしたのですが、人は食料だけでは救われない。実際の食べ物と同時に、霊的な食料を必要としている、とのことでした。
現在飢えを覚える国々は、宣教師の入国は制限され、入れない国も増えているそうです。そんな中、飢餓への援助、ということで日本国際飢餓対策機構の方は入れるそうです。
現在日本からは15名の方が遣わされているそうです。お一人お一人の働きが守られるように。何よりも肉的な食料のみならず、霊的な食料の配布において、本当の意味で人々の助けとなれるように。そのために、特に祈りに覚えて頂きたい、ということでした。
世界的視野を持って祈っていきたいですね。
投稿者 satochan : 22:59 | コメント (0)
2005年06月19日
100点満点
本日、吉川教会では、故西海静雄師の記念会が行われています。私は神学生時代と伝道師時代、先生には大変お世話になりました。
思い出の一つですが、神学校で先生が受け持つ科目の試験の日です。これから試験が始まる、という時に教室に来て、問題の補足説明をしてくれました。
それから試験を受けたのですが、問題を見てみると、先程の説明の中で全ての答えを明かしていたのです。ですから結果は満点でした。
後で「先生、試験前に全部の答えを教えてくれたね」と言いますと、全ての人に満点を取ってもらいたかったのに、「それでも理解してくれない人もいるんだよ」と。
イエスさまは再臨の時に起こる兆候を教えて下さいました(マタイ24章)。なぜ教えてくれているのでしょうか。終わりの時に誰をも懲らしめたくない。全ての人に満点をあげたい、愛の神さまは心からそう願われているのです。
愛の主は、終わりの時を示して下さいました。目を覚まして祈り、満点の人生を送りましょう。
投稿者 satochan : 11:07 | コメント (0)
2005年06月12日
祝福の約束 再臨
イエスさまが世の終わりに起こることを語られました。その日が来るのは、ノアの時と同じで「人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた」(マタイ24:38)と。
食べたり飲んだり、めとったり嫁いだり…これは別に犯罪でも、悪いことでもないですよね。一般的な、普通の、平和な生活ですよね。
実は、その「平和な生活」に大きな落とし穴があることに気付かされます。
初代教会の時代。迫害されている人々は、イエスさまが再び来られるその時に希望を置き、再臨を待ち望んでいました。
ところが、迫害がなくなり、平和な生活を手に入れる。するとどうなるでしょう?
再臨を待ち望むより、今の生活を優先したい。「イエスさま、まだ来ないで下さいね」という気持ちになってしまうのです。
再臨は、最高の祝福を伴う聖書の約束です。この約束を喜べない時、危険な罠にはまっているのかも知れません。油断することなく祈り、再臨を待ち望む生活を送りましょう。
投稿者 satochan : 22:52 | コメント (0)
2005年06月05日
何を選ぶか
ある方が言いました。「人生にはどうすることも出来ないことが多々ある。まず、親を選べない。生まれ育つ場所や環境も選べない。才能や知能指数も選べない。しかし、人格は選べる」。
皆さんはどのような人格を希望するでしょうか? ちなみに人格とは、「人柄、人品。道徳的行為の主体としての個人。自律的意志を有し、自己決定的であるところの個人」と広辞苑にあります。
どのような人格を選ぶか。どうせ選ぶなら、立派な、「人格者」と呼ばれるような人格を望みたいと思います。
ところが、心に傷を負っていると、何でも選べる立場にありながらも、素晴らしい望みを抱くことに罪悪感を覚える場合があるのです。
イエスさまは、私たちの心の傷を全て背負って下さいました。主によって、私たちは完全に生まれ変わり、文字通り真っ白な心にして下さったのです。この心のキャンパスに何を描くか、それは私たちの自由です。主に喜ばれる人格を選び、主に養っていただきましょう。
