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2005年07月31日

コリがほぐれる

 夏の暑さのせいでしょうか…体が重たく感じ、気分も沈みます。多くの方が夏ばて対策を教えて下さったのですが、どうにも疲れが抜けず、マッサージに行ってきました。
 そこで不思議なことを一つ発見しました。コリが苦しくて通っているのに、マッサージ屋さんに、「コッてますねぇ」と言われると、何となく嬉しく感じてしまうことです。まぁそれはさておき…
 コリをほぐすために、結構しつこく痛いところをグリグリと押されました。1時間でまだコリはとれず、先週は2回も通いました。
 通う度にグリグリ、グリグリ…悪い部分を押される度に痛みに顔が歪み、時に悲痛の叫びを発してしまいます…でも終わると、楽になり、体が軽く感じました。
 これは一つの教訓になりました。悪いもの(罪)が凝り固まると、その部分をほぐす(砕く)には相当な痛みが伴う、ということです。主との関係を常に良い形で保ち、痛い思いをしないですむ信仰生活を送りたいですね。

投稿者 satochan : 22:34 | コメント (0)

2005年07月24日

愛の突進

 先週の月曜日(海の日)は、飯田地区信徒大会が伊那坂下教会で行われました。福岡女学院大学宗教主事・教授、福岡女学院教会協力牧師という中川憲次牧師が講演をして下さいました。
 肩書き(?)から難しい講演かな?と思いきや、「横山やすしと同じ経歴を持っている」ということで(?)、堅くなく、時に腹を抱えて笑う場面もある、それでいてイエスさまの愛を伝える、非常に素晴らしい講演でした。
 話の内容としては、イエスさまの愛は、待つ愛ではなく、突進する愛である、と。ですから、隣人が与えられるのを待つのではなく、あなたから隣人になりなさい、というお勧めでした。
 また、先週はN.Y.から来たゴスペル・クワイヤーのコンサートに行ってきましたが、ここでも、神の愛を伝えるために、わざわざ日本まで来た、という突進してくる愛を感じることが出来ました。
 主は今も生きておられ、私たちの心に向かっておられます。主の愛に満たされ、私たちも他の人へ愛の突進をするものでありましょう。

投稿者 satochan : 23:17 | コメント (0)

2005年07月17日

暑い夏を乗り切るには?

 梅雨は明けたのでしょうか?暑い日が続きますね。ところで、暑さが毎年厳しくなってきているような気がするのは私だけでしょうか?実は私は暑いのが苦手でして、この季節はとても辛いです。
 そこで、今年はこの暑さを乗り切ろうと、密かにマラソンを始めました。30も過ぎると歩く方が良い、とも聞くのですが、どうも歩くと時間がかかりますので、走っています。
 6月から夏対策で走り始めました。最初は2kmがやっとでしたが、現在は3km走れるようになりました。体力がついてきた、そんな実感があります。
 ところが、相変わらず「暑さ」は辛い。その暑さのせいか、体がダルイのです。何なのかなぁと考えたところ、一つの聖書箇所が思い浮かびました。
 「体の鍛錬も多少は約に立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、全ての点で益となる」(1テモテ4:8)です。あぁ、霊に燃えれば夏もまた涼しい、かな?

投稿者 satochan : 22:53 | コメント (0)

2005年07月10日

充実感

 昨日はJJ子ども会を開催しました。随分前から準備をしてきましたが、参加者がどれくらい集まるのか、プログラムの内容はどうなるのか、不安もありました。
 時間になってみると、子ども29人。大人20人の49人の集会となりました。
 JJE(英会話)と、JC(教会学校)を交えた集会でしたから、英語の歌を歌って、ゲーム、聖書からの劇、手品、持ち寄りの昼食会、紙芝居、といった感じで会を進めました。
 参加者に、聖書の話がどれほど伝わったのかはわかりませんが、とにかく「教会」という場に慣れて頂き、これからの集会にも誘いやすい人間関係を築いていけたらと願っております。
 自分の持っている力を、この子ども会で使い果たしたのか、集会後はグッタリしてしまいましたが、不思議と心は「またやりたい。今度はもっと素晴らしい集会になる」という思いで燃えていました。
 私たちは、神さまのために力を出し切る時、不思議と「充実感」を頂くものなのですね。

投稿者 satochan : 17:54 | コメント (0)

2005年07月03日

自由の使い方

 本を読んでいてとても感心させられました。高校生の文章なのですが、自由の本質を非常によくつかんでいると思わされたのです。
 彼は寮生活を送っていて、起床から就寝まで、分刻みで時間割が決められているそうです。一見とても不自由に見える生活ですが、彼はそれを「時間という外枠は決められていても、それをどのように使うという内枠については、全てが個人に任されている」、「自由だ」と述べるのです。
 その学校では毎朝礼拝があるようですが、その礼拝の時間も、その日、その時にしか聞けない話を逃すことがないように、「自分に任されている自由の中から『よく聞く』ということを選択できる」というのです。
 私たちは自由を保障されています。だから何でもできるわけですが、全てのことが益になるわけではありません(1コリント6:12)。自分に与えられている自由によって、何が益であるのか判断し、選択しなければなりません。
 与えられた自由を上手に用いましょう。

投稿者 satochan : 22:51 | コメント (0)