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2005年09月25日
つながっているだけで
教会訪問に行ってきました。子どもも入れて14名で、今回は、山梨県にあるホ群の教会ということで、大月新生教会と山梨八代教会を訪問しました。
訪問する前に、ぶどう狩りにも行きました。私としては、「食べ放題」を期待していたのですが、それは出来ませんでした。でも、お店の方々は親切で、たくさんの試食、お弁当を食べる場所、お茶、デザートにたくさんのぶどうを提供して下さいました。
あまくて美味しいぶどうをたくさん頂きましたが、ぶどうと言えば、イエスさまが「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」(ヨハネ15:5)と語られた言葉を思い出します。
主は続けて、「人が私につながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かな実を結ぶ」と言われました。
私たちは、自分で無理に実を結ぼうとしなくて良いようです。主につながっているだけ。そして結ばれる実は、甘くて美味しいのです。主につながり続け、豊かな実を結びましょう。
投稿者 satochan : 15:11 | コメント (0)
2005年09月18日
世界の果てに
先週は、ウィクリフ聖書翻訳協会の永井敏夫師をお招きして、奥様の悦子師には証しを、敏夫氏には御言葉を取り次いでいただきました。
穏やかな先生だったので、説教も穏やかなのだろうと思っておりましたら、非常に力強く、情熱的なメッセージで、圧倒される思いでした。また、御言葉から、深く心を探られ、悔い改めに導かれました。
午後、先生を囲んで愛餐会。ここではウィクリフの働きを紹介していただきました。
非常に恵まれ、先生と別れるのが惜しいなぁと思いつつ、「夜まで残って、夕拝でもメッセージを」と冗談半分で言っておりましたら、本当に夜まで残ることになってしまい、メッセージも取り次いで下さいました。素晴らしい主の導きに感謝しました。
世界の果て、それが私たちの隣人である。そこに福音を伝えずして誰に伝えるのか!?私たちが主から頂いている使命の素晴らしさと同時に、責任を覚えさせられました。主の前に、責任を果たす者とさせて頂きましょう。
投稿者 satochan : 12:12 | コメント (0)
2005年09月11日
日々の悔い改め
先日、ある牧師と会話をする中で、強く指摘されたことがありました。「どれだけ人々に悔改めを迫っているか?」ということです。
なぜ悔い改めを迫るのか。死後に裁きがあるからです。イエスさまを信じることで、永遠の命をいただける。その約束は確かだが、裁きがあることも聖書は明確に述べています。だから、罪を犯すな、と聖書は私たちに命じます。
「知恵ある人は畏れによって悪を避け...」(箴言14:16)る。主に対する畏れがなくなる時、私たちは「永遠の命」を与えて下さる神さまの約束に甘えて、悪を犯しても平気になるのです。
主は伝道を開始された時の第一声は、「悔い改めよ」(マタイ4:17)でした。罪の赦しを宣言した後に語られたことは、「もう罪を犯してはならない」(ヨハネ8:11)でした。
「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい」(ヨハネ13:10)。主に一度、罪を赦された者も、その後に犯した罪はその都度悔い改める必要があります。罪から離れ、主を畏れ従う歩みを続けましょう。
投稿者 satochan : 21:50 | コメント (0)
2005年09月04日
親の気持ち
娘を迎えに行った妻が電話してきました。保育園に救急車が入ってきた、と。電話してくるので、娘に何かあったのか!?と不安を覚えながら話を聞くと、他の子でしたが、男の子の具合が悪くなった、ということでした。「心配だから祈って」と。
電話で聞きながら、言われるまでもなく心の中で祈り始めていました。電話を切ってから、必死に祈りました。「自分の娘かも!?」と思った時の不安、恐れを、男の子の親は今抱えている。他人事とは思えず、ひざまずいて祈りました。
自分の子が苦しむ姿を見て、平気でいられる親があるでしょうか。運ばれた子の親の気持ちを思うと胸が張り裂けそうでした。その時、私たちのために、独り子を遣わした神さまの気持ちが、ほんの少しわかったような気がしました。
父なる神さまは、ご自身の独り子が十字架につく姿を見て、胸が引き裂かれたことでしょう。全て私たちのためでした。涙があふれてきました。悔い改めと感謝、執り成しを祈りました。
男の子は大丈夫でした。今日退院の予定です。
