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2006年04月30日
祈りはきかれる
一人の青年が「凄い奇跡があったんだけど、話しちゃおうかなぁ」とニコニコしながら話しかけてくれました。「どうしたの?」と聞くと嬉しそうに話してくれました。
大事なメモをした用紙を失くしてしまって、探していたそうです。全然見つからず、「捨てちゃったのかな」と諦めかけたとき、左斜め前方にその用紙が置いてあった。さっき見た時は無かったのに!!これは神さまが置いて下さったとしか思えない!!ということでした。
別の方は電話で、怪我で苦しんでいた身内が急に元気になった、という報告がありました。
主は「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見出す。叩きなさい。そうすれば開かれる」(マタイ7:7)とおっしゃいました。
単純な真理ですが、単純なだけにおろそかにし易いものですね。この真理を握り締め、大胆に求める信仰を養いましょう
投稿者 satochan : 17:04 | コメント (0)
2006年04月23日
信仰のABCD
信仰のABCDがあると聞きました。
AはAsk(尋ねる)。私たちは自己中心を捨て、常に最善の神さまの御心を知るために、神に聞きます。
BはBelieve(信じる)。御心を示されたら、その世界を信じる必要がありますね。
CはConfess(告白)。御心を成就させるために、内から罪を取り除き、御心が成就する信仰を告白します。
DはDo(行う)。信じたら行動。この行動が実際の生活の場に祝福をもたらします。
イエスさまは、何のために十字架につき、復活して下さったのでしょうか?それは、私たちを罪という束縛から解放し、私たちに祝福をもたらすためでした。
神さまは祝福を注ぐ道を備えてくださいました。その祝福を受けるために、私たちがするべきことは、信仰のABCDを行うことです。特に、Do(行動)は必要でしょう。
御声を聞き、決断し、行動し、豊かな祝福に与りましょう。
投稿者 satochan : 15:14 | コメント (0)
2006年04月16日
十字架による聖潔
喬木教会は、ホーリネスの群というグループに属しています。「ホーリネス」は英語で辞書には「神聖」とありますが、「聖潔(きよめ)」という意味で使われています。
イエスさまが十字架上で、私たちの全ての罪を背負って下さった。この主を自分の救い主として信じ、心にお迎えする者は、神の前に罪のない者として聖潔られる、ということです。
そして、聖潔られた人は、罪の束縛から解放されるのですから、当然生き方も変わります。罪に妥協しない生き方になります。
主が復活されたことを記念するこの日、主が私たちを罪の束縛から解放して下さったことを覚えましょう。
もし、解放されているにも関わらず、自ら好んで罪の世界に戻ろうとしているならば、そこに十字架を立てましょう。
この復活祭、十字架の恵みが豊かにありますように。
投稿者 satochan : 15:19 | コメント (0)
2006年04月09日
一つの目的を持って
コカ・コーラの社長がインタビューを受けた時、「私の血管の中には血液ではなく、コカ・コーラが流れています」と答えたそうです。この社長は、コーラを販売することに、文字通り命をかけたそうです。その結果、アメリカの外交官でも入っていくことの出来ない国々、共産圏であれ、敵国であれ、どこにでも進出していくことが出来たそうです。
そこまで大きな働きではないにしても、一つの目的を持って、それを成し遂げる人には、不思議な魅力と、力がつくような気がします。
私はよく「器用貧乏」と言われますが、器用貧乏とはよく言ったものです。多くのことが出来ても、深みがない。集中力が散漫になり、一途になれない...
キリストの命によって生かされているのですから、キリストだけを見つめ、神の目的のために、プロのクリスチャンになりたいものです。
投稿者 satochan : 03:05 | コメント (0)
2006年04月02日
気持ち新たに
妻と5歳の娘の会話。妻「日本にはイエスさまを知っている人がいなかったんだよ」。娘「へぇ~。じゃぁどうして今は教会があるの?」。妻「イエスさまのことを知ったら、嬉しくなるでしょ」。娘「うん」。妻「その嬉しい気持ちを伝えてくれる人がいたんだよ」。娘「へぇ」。妻「それで礼拝は、その嬉しい気持ちを現すところでもあるんだよ」。娘「じゃぁ、どうして皆毎日(日曜日に行うような)礼拝しないの?」。
神さまを喜ぶ行為が「礼拝」であるならば、毎日礼拝する、というのが当然の答えのようですね。その通りでありましょう。
パウロは、私たちの体そのものを聖なる生けるいけにえとして捧げなさい、と勧めることで、生活全体を礼拝の場とするようにと言いました。
神さまを礼拝する。このお方を第一にする。だから、大事な時間を捧げてデボーションを通し、礼拝します。新しい年度、気持ち新たに、礼拝者となりましょう。
