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2006年09月24日
神が共にいれば大丈夫
「勝てば官軍、負ければ賊軍」という諺がありますね。過程はどうであれ、勝てば良し、ということです。
人の社会にはこの諺通りのことがよくありますよね。特に日本の社会はそうなのかも知れません。
幕末期、幕府の主力組織だった新選組は、クーデターを起こした薩長軍によっていきなり賊軍とされてしまいました。今日は官軍でも明日は賊軍。絶対者がいないことの恐ろしさを感じますね。
新しい自民党総裁が選ばれましたが、喜ばれて選ばれても、政策で失敗した時はどのような評価が下されるのか...
アブラハム・リンカーン(米16代大統領)は、様々な戦いの中で「神が私の味方かどうかは問題ではない。私が神の側にいるかどうか、ということが問題である。神を我々の側に引きずり込むのではなく、我々が神の側に立っている、ということが確認できたならば、我々は絶対に勝利することが出来る」と言いました。
「負けて賊軍になったら..」という不安を捨て、主の側にある幸いを得ましょう。
投稿者 satochan : 10:16 | コメント (0)
2006年09月17日
祈り合うために
非常に遅れてしまいましたが、教会員名簿が出来ました。今まで祈る度に不自由を感じていた方も多かったことでしょう。これから大いに用いて頂ければと思います。
以前、礼拝で神の武具について学びました。この武具は常に身に着ける必要があります。私たちはこの地上にある限り、誘惑が常にありますし、悪霊どもの攻撃、罠もたっくさんあるからです。
その中で私たちは、どのようにして戦うべきでしょうか?神の武具を身につけ、一人で敵陣に切り込みますか?そうしたら返り討ちにされてしまいますね。連携プレーが必要です。
週報を通し、週の予定を知り、祈祷課題表を通して共通の御言葉と、祈るべき課題を知り、互いが守られ、勝利するように祈り合うのです。
教会員名簿、互いに祈り合うために、大いに活用して下さい。また、互いの名前を覚え、交わりのためにも活用しましょう。
投稿者 satochan : 16:54 | コメント (0)
2006年09月10日
愛の実践とは?
ハーベスト・ミニストリー以来、近隣の子どもたちが教会に通うようになってくれました。以前は、何か教会の周りに壁があるような感じで、どうしても入ってきてくれなかった子どもたちです。
先週の礼拝後、アブラハム会・泉会が始まる時、子どもたちがまだ教会で遊んでいたので、「お昼だから帰りなさい」と言うと、「帰ったけど鍵がかかっていた」。「ご飯はない」という返事でした。
教会の前に、「お昼ご飯がない」という子どもたちがいて、自分たちは自分たちの集会に行きお昼ご飯を食べる...
「靴屋のマルチン」であったなら、この子たちにどうしただろうか...という思いがこみ上げて来ました。
目の前の子どもたちに愛を示せず、自分たちの働きのみに忠実であろうとすることに、何か後ろめたさを覚えさせられた時でした。いつの間にか、壁を作っていたのは自分の愛のなさだったのでしょう。
投稿者 satochan : 15:48 | コメント (0)
2006年09月03日
幸福な降伏を
日本では、終戦記念日は8月15日、としていますが、正式に太平洋戦争が終戦となるのは日本が「降伏文書」に調印した日でありましょう。その日は9月2日でした。東京湾に停泊したミズーリ号の中で、マッカーサー司令部と日本政府の交渉の後にこの調印式が行われ、正式に終戦、となったのです。
毎月最初の聖日は、月の誕生記念者と、受洗記念者を覚えて祝福のお祈りをします。
赤ちゃんが生まれた時、関係者は喜んだことでしょう。ことにその両親は感動をもって喜んだことでしょう。私たちはその喜びの日を記念し、お祝いします。
霊の誕生日、洗礼を受けた日は、私たちが神の子となって新たに生まれ(変わっ)た日です。この日は、何よりも天の父が感動し、喜び、記念とされた日であります。
神の前に完全降伏することによって、最高の幸福を頂いた日を大切にしましょう。
