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2008年10月5日(日曜日)

種を蒔く時

カテゴリー: - satochan @ 06時58分06秒

 ある人が種を蒔きました。悪い地に落ちた種は、鳥に食べられたり、根を張れなかったり、茨にふさがれたりしたそうです。でも、良い地に落ちた種は30倍、60倍、100倍の実をつけたそうです。
 この人はどんな気持ちで、どこに種を蒔いたのでしょうか?「どこでも良いから、とりあえず種を蒔いとこ。運が良ければ収穫できるし」なんて思いながら種まきしたでしょうか?そんなことないでしょうね。
 自分が耕した地に、収穫を期待しながら蒔いたことでしょう。地を耕せば耕すほど、収穫出来る可能性は広く、大きくなってくるのです。
 時折、地を耕しもしないで、収穫だけ期待する人がいます。これは何も得られない、と思った方が良いでしょうね。
 私たちは期待して耕し、畑の面積を増やしましょう。耕すのです。自分の心を。人間関係を。仕事を。その時、神さまの御言葉という種は30倍、60倍、100倍の実を結ぶのです。


2008年9月28日(日曜日)

わたしが導く

カテゴリー: - satochan @ 00時30分08秒

 目標を達成するということは、辛いものです。私はこの夏、かなりのものを身につけてしまい、これを落とすのに必死です...
 でも、何を「目標」とするか、ということが大事ですね。本来「目標」とすべきではない所を「目標」としてしまうことがあるからです。
 私たちを正しい場所に導こうとされる神さまは、本当に優しいお方で、「わたしはあなたの前に使いを遣わして、あなたを道で守らせ、わたしの備えた場所に導かせる」(出エジ23:20)と言われるのです。
 この方は、私たちが間違った目標を掲げ、違う方向に行こうとした時、必ず、私たちに過ちを気付かせようとします。その時の気付かせ方ですが、大抵は「苦しみ」です。
 間違った方向に進むことを、聖書は「罪」と言います。罪があると、神さまとの関係がおかしくなるので、苦しみが生じるのです。
 苦しい時、ちょっと立ち止まり、自分の目標、やっていること、神さまの前で確認すると良いでしょうね。良い道が開かれますよ。


2008年9月14日(日曜日)

気楽な集い

カテゴリー: - satochan @ 13時50分31秒

 最近は、新しい方が多く教会に導かれていることを嬉しく思っております。その中で、今まで海外で教会に通っていた方があります。その方が夕拝後の交わりに参加し、言われました。
 「前の教会では、皆聖書や信仰に関する話ししかしていなかったので、自分とは別世界で、その輪には入れないと思っていましたが、ここは自由に何でも話せていいですね」。
 実際に会話の主題は料理...「いや、それでも普段は信仰の話しをしているんですよ」なんて強がりを言って、笑いました。
 イエスさまの後には「おびただしい群衆が従った」(マルコ3:7)とありますが、何で群衆が従ったのでしょうね?
 私の勝手な想像ですが、きっと肩の凝らない、楽しい雰囲気と、何でも語り合える自由さ、その中で生きた神の御言葉が語られていたからではないか、と思うのです。
 生きた御言葉に養われ、楽しい世界を広げていけたら良いですね。


2008年9月7日(日曜日)

大胆に祈ろう

カテゴリー: - satochan @ 14時56分17秒

 神さまは度量の大きいお方ですよね。最近皆さんの証しを聞いて、そのように思わされます。
 生真面目な(?)クリスチャンは、「こんなこと神さまに祈ったら失礼だ」とか、「これは祈るべきじゃない」とか、祈り求める前に、その願いが神さまに相応しいかどうか判別してしまいます。
 私たちと神さまの物差しは違います。私たちが判別して、祈りを控える必要などないのです。
 重い皮膚病を患っている男はイエスさまに言いました。「御心ならば、私を清くすることがおできになります!!」(マルコ1:40)。
 この祈りはいいなぁと思うのです。「御心なら」聞いてもらえるし、そうでなければ願いは叶わない(もっと良いものが備えられている、ということですから)。
 信仰によって心を広げて、神さまの御手の大きさを思いながら、大胆に祈り、大きな奇跡を体験させていただきましょう。


2008年8月31日(日曜日)

言い訳しなくてよい

カテゴリー: - satochan @ 14時57分53秒

 カリフォルニア州のある囚人は、刑務所から脱走したが、捕まりました。その時にこう言ったそうです。
 「棒高跳びの練習をしていたら、壁に近づきすぎて飛び越えてしまったんです。我に返って刑務所に戻る道を捜したのですが、道がわからなくて迷ってしまいました。ふと気がついた時にはだいぶ遠い所にまで来ていたようです」。
 誰が彼の話を信じられるでしょうか?でも本人は信じてもらおうと、真剣に話していたそうです。
 人は責められると常に言い訳してします。言い訳しすぎて、言い訳のプロフェッショナルになっている人も少なくないのでは???
 出エジプト記に登場するモーセは、しばしば群衆より責められますが、彼は一切言い訳しませんでした。常に神さまのもとに問題を持って行ったからです。私たちも、モーセと同じ事が出来ます。問題を神のもとへ持って行き、すがすがしい人生を送りましょう。


2008年8月24日(日曜日)

代わりに戦う主

カテゴリー: - satochan @ 14時59分40秒

南信・北信分区合同青年会のワーク・キャンプがH教会で行われました。
 ワーク(Work)は通常「仕事」と訳されますが、「勉強する」とか言う時にも使います。教会の行事ですから、霊的修養の時もあるのかと思いましたが、残念ながらそれはなく、完全な「ワーク」だけでした。
 車4台ほど駐められる駐車場の土をおこし、道路より20cmほど掘り下げ、後は業者に砂利を入れてもらう、という作業です。
 朝から晩までツルハシとシャベルを持ってひたすら手作業。とても良い運動になりました...が、やり慣れない作業に体が悲鳴を上げていました。
 二日目、朝のデボーションで、「主があなたのために戦われる。あなたは静かにしていなさい」(出エジプト記14:14)と。
 すると作業中、急に大降りの雨。作業中止。その中で業者が来て、「後は機械でやりますから」。機械で行う作業の早いこと。主に戦って頂く幸いを覚え、主を讃美しました。


2008年8月17日(日曜日)

恵みの成長

カテゴリー: - satochan @ 15時01分11秒

 JCキャンプで海に行く時、誰もゲームを持ってきていませんでした。その姿に、私は誰かが「ゲーム禁止令」を出したのかと思っていました。他のスタッフは、私が「ゲーム持ってこないように」と脅したのだ、と思っていたそうです。
 でも誰も「ゲーム禁止令」は発していませんでした。みんな自発的に(?)ゲームは持ってこなかったのです。
 普段ゲームばかりしている子たちが、自らの意志で持ってこない。その姿に感動してしまいました。
 またこの夏休み、子どもたちは集まってやることがなければゲームをしていますが、手伝いを要求すればすぐに応えてくれます。そして外で遊びたがり、川や公園に連れて行ってくれとせがみます。
 自然という恵みの中で成長する時、私たちを束縛する力から解放される姿を見ました。神の恵みの世界に留まり、悪習慣や罪という束縛から解放されましょう。


2008年8月10日(日曜日)

JC旅行

カテゴリー: - satochan @ 15時52分30秒

 皆さんからのお支えで、教会の子どもたちを連れて海に行ってくることが出来ました。
 今年は温暖化の影響でしょうか、例年より海水が温かいそうで、クラゲが異常発生しているとのこと。そのせいで、海水浴場で泳いでいると、数分おきにチクっと痛みが走る、という感じでした。
 でも、海に来れた喜びでいっぱいの子どもたちは、刺されながらも嫌がることなく海に入って、力一杯遊んでいました。
 そして帰る前、お世話になった南遠教会の牧師が「クラゲに刺されなかった?」と聞かれると、「お祈りしたら、今日は刺されなかった」との答えがありました。
 そう言えば、食前のお祈りも、以前はお願いすると固辞していた子たちが、素直に祈っていました。その他にも、片付けを率先して行う。知らない人にも声をかける...。
 子どもたちは、教会で立派に育てられているのだなぁと、成長させて下さる神さまに感謝を覚える旅でした。


2008年8月3日(日曜日)

収穫を望んで

カテゴリー: - satochan @ 15時51分25秒

 ハーベスト・ミニストリーが終わりました。今年は、アガペー八王子チャペルの他、韓国の南ソウル教会、新潟新津福音教会からたくさんのメンバーが来て下さいました。
 このミニストリーを迎えるにあたり、教会員の協力があったこと、とても嬉しく思いました。また、平日の忙しい時間を割いて集会に出席してくれたり、集会に出れられなくても、顔だけでも出して下さったり。教会全体として、このミニストリーを支えることが出来ました。
 また、祈っていた隣人を集会にお誘いもしました。その結果、今年は6名の人が、イエスさまを救い主として心にお迎えする、と告白してくれました。大きな恵みです!!主を心から讃美します!!
 今年決心して下さった方々を教会につなげるため、なお皆さんのお祈りとお支えが必要です。その方々が教会に見えた時には積極敵に声をかけて下さい。実を刈り取る働きに励みましょう。


2008年7月27日(日曜日)

伝達

カテゴリー: - satochan @ 15時50分17秒

 本当の喜びを知ったら、それを人に伝えたいと思うのが私たちの心ですね。
 19世紀のイギリスに、チャールズ・ディケンズという作家がいました。彼には息子が数人しました。一番下の子が自立する時、彼は息子に手紙を書きました。
 「お前のカバンに聖書を入れておいた。お前が幼い時から読み聞かせたものだ。聖書はこの世界における最高の書物であり、人生を真摯に生きようとする者に、最上の教訓を与えてくれる書物である。お前の兄たちが家を出る時も、同じ手紙を書いて渡した。お前も聖書に導かれて幸せな人生を歩みなさい。これが父親として私の唯一の願いであり、祈りである」。
 私たちも隣人に最高のものを提供したいと心から願います。ですから、臆することなく、「これこそが最高なのだから」と相手のことを思って御言葉を贈りましょう。そして、相手のために祈りつつ、この夏、ハーベストにお誘いしましょう。


2008年7月20日(日曜日)

ありがとう

カテゴリー: - satochan @ 15時48分59秒

 人は人間関係の中で生かされています。もし、その関係の中で、自分の居場所が見出せなくなったらどうなるでしょう?
 無力感に襲われ、意欲がなくなります。
 互いに存在を認め合い、喜びに満ちた関係を築くにはどうしたらよいでしょうか?
 「ありがとう」と声をかけることです。
 あなたの存在にありがとう。あなたの行為にありがとう。あなたの言葉に、気持ちに、ありがとう。
 この言葉は不思議な潤滑油のようです。死んでいた心を生かす言葉。関係を深める言葉です。
 「ありがとう」は漢字で「有り難う」。「有り難い」恵に感謝する言葉なのです。
 欠点だらけで、取り柄がない。神さまの前に何にも誇ることの出来ない自分が、神さまの恵みによって生かされている!!この十字架の恵みに生かされる時、自然と「有り難い!!」という気持ちに溢れます。この感動で「ありがとう!!」。互いに声をかけましょう。


2008年7月13日(日曜日)

カラッポで満足

カテゴリー: - satochan @ 00時45分10秒

 私はアブラハム会に出席していますが、昼食時に毎回耳にする話しがあります。それは昔は食べ物がなかった、という話しです。
 食べ物がなかったのだから、さぞ辛かっただろう、と思うのですが、語る人の顔は輝いています。物の無かった時代は、美しい思い出として残っているのです。
 現代はどうでしょうか?物が豊かであるせいか、自分の要求ばかりを主張し、感謝の心が薄くなっているような気がします。
 パウロは「自分の置かれた境遇に満足することを倣い覚えた」(フィリピ4:11)と言い、聖書は「今持っているもので満足しなさい」(ヘブライ13:5)と言います。
 神の恵みに生きる時、何が無くても「感謝」が生まれます。いや、何も無いから神の恵みに敏感になり、感謝が生まれるのです。
 自分が握りしめているものを、主の前に差し出して、自分を空ッポにしてみましょう。そして聖霊さまに満ちて頂くのです。最高の満足を頂くことができますよ。


2008年7月6日(日曜日)

危険な「便利さ」

カテゴリー: - satochan @ 18時06分20秒

 先月、村で開催された講演会に行きまして、教えられたことを一つ。
 「便利さ」は人を「消費主体」にするそうです。それは、「もらうこと」ばかりを求める考え方だそうです。
 これをしたら、あれが貰える、という報酬を受けることを基本に考えるのです。それでいて、自分が何かを貰うのは当たり前。そして自分の価値を高めるためには、人をこき下ろす。クレーマーはその典型だそうです。
 これと反対は、「労働主体」の人です。自分の働きが人に喜ばれていることに生き甲斐を感じます。何かをしてもらえば感謝を覚えます。不便が常であった時代、人々は労働主体であった、と言われます。
 便利な世の中にあって、人はいつの間にか全能感を持ち、消費主体の生活を送るようになりました。
 もし私たちが神の前に自らの罪深さを認め、悔い改めるなら、恵みが注がれ、労働主体の喜びに満たされます。恵みを頂こう。


2008年6月29日(日曜日)

語り合う恵み

カテゴリー: - satochan @ 18時05分17秒

 礼拝後に数人のグループで祈り合う活動を始めました。メンバーだけ確認して帰られる方もありましたが、分かち合いをした方々からは好評を博しました。
 ある方が証ししてくれました。「夫に言われたのだけど、自分は水曜日の方が日曜日よりも明るくなっているようだ」。
 この方は毎週水曜日のロイス会に出席しているのですが、このロイス会では御言葉を通してどんなことを教えられたか、説教で意味不明なこと、日常生活の様々な問題等、何でも語り合いながら祈るのです。
 自分の思いを語る。時に吐き出す。そこでさらに御言葉の栄養を頂く。その時、今まで以上に恵みを味わうことが出来るようです。
 また、今まで普段話したことのない方と話が出来た喜びを覚える方もありました。
 2,3人、主の御名によって集まる所には主もそこにいて下さるのです。この主と共に歩む恵みが満ち溢れますように。


2008年6月22日(日曜日)

神との関係

カテゴリー: - satochan @ 00時30分00秒

 牧師を殺すのに刃物は必要ない。あくび一つで十分だ。というような言葉があります。確かに説教中、あくびをされると自分の未熟さに突き刺され、かなりのダメージを受けます...
 神さまは、ご自身でご自分のことを「熱情の神である」と言われました。他の訳では「妬む神」と言われています。
 もし私たちが、絶対的な主権を持っておられる神さまを無視して、他のものを頼りにしてしまったら...牧師があくびに苦しむよりも、さらに大きな苦しみを覚えられるのではないでしょうか...
 先週聞いた証し。職場でいつも厳しく、自分に意地悪だった上司が、急に優しくなり、自分の肩をもつようになってくれた、と。不思議なことがあるものだ、と思ったところ、背後で多くの方がこの方と、その上司のために祈っていました。
 神さまは現実的に力を持ったお方です。完全に信頼し、喜びの関係を築きましょう。


2008年6月15日(日曜日)

恵みの示唆を頂いて

カテゴリー: - satochan @ 15時58分30秒

 先週は韓国の「弟子訓練セミナー」に出席しました。一週間缶詰状態で、重要な学びをしました。このセミナーを通して、自分の聖書認識がいかに甘かったか、自分の働きがいかに不十分であったのかを痛切に示され、ひたすら悔い改めました。
 特に驚いたことは、今まで「当たり前」と思っていたこと(教えられたこと)が、聖書の言葉に示し合わせると「間違っていた」ということです。自分が聖書からではなく、「一般的なこと」として受けいれられていることから学んでいたという事実です。
 罪に打ち勝つ方法、聖潔を実践すること、聖書の基準に合わせた生き方等々。自分自身の歩みを反省すると共に、皆さんとこの恵みを共有する必要を覚えさせられました。
 とにかく燃やされました。この恵みを皆さんと分かち合っていきます!ですから、共に燃やされましょうね。


2008年6月8日(日曜日)

平安を受ける

カテゴリー: - satochan @ 00時30分00秒

 「イエスご自身が彼らの真ん中に立ち、『あなたがたに平安があるように』と言われた。」(ルカ24:36)
 イエスさまが十字架につき、失望していた弟子たち。そのの真ん中に復活したイエスさまが立たれました。主が共にいて下さる。そのことによって弟子たちは「平安」を得ました。
 この「平安」は非常に重要です。興奮状態が続きますと、中毒になります。また落胆状態が続くと、ウツになります。この両者の均衡を保たせるのが「平安」です。
 「平安」は私たちの体の神経を緩め、リラックス状態にします。主が共にいて下さる事実により心がリラックスすると、恐れが消え去ります。否定的な考え方から解放され、信仰による行動が生まれます。
 主は私たちの只中に立ち、「平安があるように」と言われました。
 日常生活の慌ただしさから一歩引いて、主が下さっている「平安」を受け取りましょう。


2008年6月1日(日曜日)

恵みは十分

カテゴリー: - satochan @ 07時33分25秒

 今の時代、人々は自分の欲望を満たすことに一生懸命です。そしてその欲望は決して満たされることがないので、欲望という蟻地獄に沈む落ちていくような体験をする人も多いかと思います。
 神さまは「わたしの恵みはあなたに十分である」(2コリント12:9)と言います。もし与えられているものに感謝し、それを上手に用いるなら、その恵みは倍に増やされることでしょう(マタイ25:14〜30)。
 松下幸之助さんは成功の秘訣を、「家が貧乏だった」、「上の学校に行けなかった」、「生まれつき体が弱かった」ことと言ったそうです。
 欲望は人の心を急き立てます。もっと、もっと、と走らせるのです。私たちは日々静まって、自分に与えられている恵みを数えるクセをつける必要があります。そして静まる中で、自分に与えられている恵みを、どのように用いるべきか主に聞いてみましょう。不幸と思えることが力になります。


2008年5月25日(日曜日)

執り成しの祈り

カテゴリー: - satochan @ 07時25分34秒

 今年、特に隣人のために祈ることに取り組んで行こうとしています。人々のために祈ることを「執り成しの祈り」と言います。
 執り成しの祈りを捧げる時の方法を少し紹介します。
 この祈りはまず自分から始まって行きます。自分のために祈り、その祈りが外へ外へと広がるようにしていくと良いでしょう。水面に石を落とすと波紋が広がるように、この世界に神の業を広げていくのです。
 讃美し、感謝を捧げ、罪を悔い改め、恵みを数え、必要を求めます。そして自分のために祈った後、自分に近い人のために祈ります。家族や親戚、親友のため。そして職場や学校、地域、国、世界へと祈りを広げます。
 祈りをするにあたって、あらかじめ項目をあげておくと良いと思います。教会で配られる祈祷課題も用いて下さい。
 この祈りが、私たちの領土を広げるのにとても有益です。


2008年5月18日(日曜日)

求める心

カテゴリー: - satochan @ 11時06分45秒

 毎朝5:30〜執務室で、早天祈祷をしています。もともと早寝遅起きで育った私は、この年になっても早起きが苦手です。朝起きると頭がクラクラします。血が巡っていない感じです。お祈りを始めると、夢心地になってしまいます。一緒に祈ってくれる妻や兄弟いることで、睡魔から守られているのが実状...
 睡眠時間が足りていない、眠い、少し寝た方が良い働きが出来そうだ、眠い、休息も必要...心の声がたくさん聞こえてきます。どれも自分に都合の良い声なので、従順してしまいそうです。
 でも同時にもう一声かかります。「肉体の限界を超えた所に神の恵みが働く!!」。今年一月に出席した集会で講師が語った言葉です。
 バスケット・ボール選手のマイケル・ジョーダンが言った言葉も刺さります。「良い選手と偉大な選手の差は心にある」。
 神さまを求める心において負けることなく、恵みに与っていきたいものです。


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