喬木教会礼拝説教
2002年2月10日

再び来られる主

聖書箇所 ルカによる福音書 17章20〜31節(新共同訳p.143

17:20ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。21『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」

22それから、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたが、人の子の日を一日だけでも見たいと望む時が来る。しかし、見ることはできないだろう。23『見よ、あそこだ』『見よ、ここだ』と人々は言うだろうが、出て行ってはならない。また、その人々の後を追いかけてもいけない。24稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである。25しかし、人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている。

26ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。27ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が襲って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。28ロトの時代にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、29ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。30人の子が現れる日にも、同じことが起こる。

31その日には、屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。同じように、畑にいる者も帰ってはならない。32ロトの妻のことを思い出しなさい。33自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。

34言っておくが、その夜一つの寝室に二人の男が寝ていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。35二人の女が一緒に臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。」36*畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。37そこで弟子たちが、「主よ、それはどこで起こるのですか」と言った。イエスは言われた。「死体のある所には、はげ鷹も集まるものだ。」

 

概略

宗教的な知識をたくさん持つファリサイ派。しかしその心には救われた喜び、神が共にいてくださることへの感謝などは存在しない。なぜなら彼らの感心事はもっぱらこの世的なこと。富や名声だったから。

それらのことに気を取られている限り、私たちは信仰者としての喜びも希望も、感謝も知ることが出来ない!!

クリスチャンとして生活する時の大事な成長段階が記されている。

 

ポイント1 この世の感心事との別れ(V.20,21)

目に見える物質的な感心事は、神の御胸と合わないことが多い。目に見えないところ、お互いの関係の中に、神の国が現れてくる、と主は言われる。

この世に感心事があると、本当の大事なことは見落としやすい。私たちはまず、自分たちにとって、目に見えるものよりも、目に見えないものにこそ目を注ぎ、この世の感心事から別れたいと思う。

だが、それも第一段階。

 

ポイント2 再臨の主に備える(V.22〜25)

今度は、この世の財を捨てイエスさまに従った弟子たちに対して語ります。弟子たちに対しては、この世にある神の国についてよりも一歩進んで、主が再び来られることについて語っている。

「あ、見えて来た。今から急いで準備しないと」では決して間に合わない。だから常に備えていられるようにあるべきなのである。ところが、この世の感心事から分離され、心に住んでくださる主を中心にした生活をしていないと、そのような生活は出来るものではない。

ある方はこういいました。「再臨信仰は、机の上の整理から」と。私自身耳が痛いが、でもそうだろうなぁと思わされる。

 

ポイント3 終末の時を正しく知ること(V.26〜30)

現在の社会情勢から、様々な終末に対する論議がされている。ノアの時代、ロトの時代、聖書に記されている終末の状況は現代、この時ととても合致している。

で、終わりが近いからといって私たちはどうするか?慌てふためくことはないでしょう。

終末が来たならば、イエスさまを救い主と信じ、主に従っている私たちはイエスさまによって上げられ、それからは肉の体から離れて永遠に神さまと共に過ごすのだ。これは本当に素晴らしいことだ。

であるならば、終末の時、終末の事を知っている私たちこそが、この時代に心に平安を抱き、喜びと共に、また涙と共に、人に仕え、伝道の業に励めるではないか。

本当の意味での終末に備えて、喜びと共に過ごそう。

 

結論(V.34〜37)

最近出版された「レフト・ビハインド」を読むと、クリスチャン、牧師であった人々が残されている。実際に主を心に迎え、主と共に生活していたかどうかが問われたのだ。形式だけでは残されてしまうということ。

終りの時代は、様々な人々を惑わす情報が飛び交い、人の心を不安に陥れる出来事がたくさん起こる。心に迎えたイエスさまを決して押しつぶしたり、無視したりすることがないよう、日々主の御声を聞き、主に従って歩むよう心がけましょう。