喬木教会説教
2002年4月21日
神の国に備える ルカ19:11〜27
19:11 人々がこれらのことに聞き入っているとき、イエスは更に一つのたとえを話された。エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである。12 イエスは言われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。13 そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。14 しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王にいただきたくない』と言わせた。15 さて、彼は王の位を受けて帰って来ると、金を渡しておいた僕を呼んで来させ、どれだけ利益を上げたかを知ろうとした。16 最初の者が進み出て、『御主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました』と言った。17 主人は言った。『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう。』18 二番目の者が来て、『御主人様、あなたの一ムナで五ムナ稼ぎました』と言った。19 主人は、『お前は五つの町を治めよ』と言った。20 また、ほかの者が来て言った。『御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。21 あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです。22 主人は言った。『悪い僕だ。その言葉のゆえにお前を裁こう。わたしが預けなかったものも取り立て、蒔かなかったものも刈り取る厳しい人間だと知っていたのか。23 ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きでそれを受け取れたのに。』24 そして、そばに立っていた人々に言った。『その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ。』25 僕たちが、『御主人様、あの人は既に十ムナ持っています』と言うと、26 主人は言った。『言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。27 ところで、わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ。』』
イエスさまがエルサレムに入ろうとしている時。人々は、今こそ政治的解放を与えてくれる王が君臨する!!と思っていた。イエスさまはその考え方には同意できない様子。そして次のようなたとえ話をされました。
国民から憎まれているけれども、立派な家柄の人がいた。この人が王になるために旅に出かけます。その際に、家来たちに10ムナを配ります。家来たちはそれを分け合ったようです。
やがて家の主人が王様となって帰って来ました。財産を預けられた家来たちがそれをどうしたのか報告します。多く儲けた者は褒められ、何もしなかった者は厳しい処罰を受けます。さらに、彼が王様となることを望んでいなかった民も敵と見なされ、処刑されることになりました。
私たちは多かれ少なかれ、又は人よりもずば抜けてなくても、何かしらの得意分野があるものです。その得意分野は、神さまから頂いた「賜物」と呼ばれます。これはプレゼント、という意味です。
私たちはどのような人にプレゼントをあげたいでしょうか?もちろん、義理や付き合い、というのもありますが、やっぱり好きな人に、大事な人にその人のためになるものをあげたいですよね。
ましてや、自分の財産を任せるとなるとどうでしょう?
それは義理や付き合いで人に任せられるものではありませんよね。信頼できる人。それをしっかりと活用出来そうな人に預けますよね。
「ムナ」は昔のお金です。1ムナで一つの町、と数えられるくらいですから、当時は相当な価値のある金額だと思います。それくらいのお金。当然信頼できる人にしか預けられません。
神さまは、人間を「神の御姿に似せて」造られました。その人間であるからこそ、神さまからの財産を上手に管理出来るはずなのであります。
ですから、「自分は無力だ」と思っている人であっても、実は沢山の賜物を神さまから預かっているのですよ。
だって、神さまそんな人のことでも本当に信頼しているのですから。
私たちはまず、自分の賜物、才能、能力、そして何よりも、神さまと交わりを持てる心があることを自覚しましょう。それは、神さまから頂いた大切なプレゼントです。そして、これを上手に活用しましょう。
最近出版された本によると、統計的に日本人は、お金を貯めることに一生懸命だそうです。そしてその貯めたお金は老後とか病気のために用いるのだそうです。
そのためだけにとは限らないと思いますが、とにかく財産は増やしたいと思うのは私たちにとっては当然のことですよね。
神さまから与えられた賜物も、本当は神さまのものですけれど、それは預かっている私たちのものでもある訳です。ですから、その賜物が増えれば増える程、私たちは豊かな生活が出来、さらに老後も、いや、老後に限らずこの世を去った後にまでも安心を生み出すことになるのです。
家の主人は、「だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる」と言われました。
イエスさまの周りにいた人々は、イエスさまが政治的にイスラエルを解放してくれる王様になると待ち望んでいました。その期待はかなり高まっていたようです。そのため、凱旋する王様のようにしてエルサレムに迎えられます。でも、イエスさまは何と言っておられるでしょう?
今日の聖書箇所の最後には王様になって帰って来て、家来たちの働き具合をチェックして、最後に自分が王様になるのを望まなかった人々を撃ち殺すように命じています。
ですから、人々はここでイエスさまが王になり、ローマ人を打ち殺す、と期待したかも知れません。
しかし実際には、イエスさまはまだ王の位を頂いておりませんでした。ですから、これから遠い国に旅立つところなのです。
実際、イエスさまが旅立つ時、今現在であっても、イエスさまを憎んでいる方はたくさんいらっしゃいますよね。
しかし、このイエスさまがやがて王様になって帰ってくる、ということなのです。
だから、イエスさまが人々にこの話しをしたのは、時は今ではない。後に本当の王様となって帰ってくる。だから、それまでに、神さまから頂いた賜物を上手に活用していなさい、とおっしゃっているのです。
そして、その時にイエスさまを快く迎えない人々や、イエスさまを王様として認めていなかった人には、このように対処する、と言われたのです。
やがてイエスさまは帰って来られるのです。これは必ず実現する約束です。
ですから、その約束を信じてイエスさまを待ち望みましょう。
信じて待つ時に、自分の賜物は初めて機能するようになります。
イエスさまが帰って来る、そのことを信じなければ、今をどう生きようが、何をしようが勝手です。その時、与えられた賜物は布に包んでしまわれている状態になっています。
持っている者には益々与えよう。これが神さまの約束です。
神さまは与えたがっているのです。受ける、求める、これも私たちの愛の対応方法です。
大胆に神さまの前に出て、欲しい物を欲しいと言い、与えられた物は目一杯活用し、私たちの心の財産を増やしましょう!!
やがて来られるイエスさまは、そのような私たちを当に喜んでくださいます。