喬木教会説教
2002年7月7日
神の約束,時を見分ける
ルカ21:20〜28
20「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。21そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない。22書かれていることがことごとく実現する報復の日だからである。23それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。この地には大きな苦しみがあり、この民には神の怒りが下るからである。24人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる。」
25「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。26人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。27そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。28このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」
序論 先行きのわからない時代であるだけに、将来に対する不安をぬぐうことが出来ないですね。そんな時だからこそ、私たちの心に安心感を与えてくれるものを捜してはいないでしょうか?
概論 イエスさまは現実に惚れ惚れとしている人々に対して、厳しいと思われる将来を告げました。それは、神の御言葉に立たない限り、本当に安心出来るものがないことを示しているようです。
ポイント1 御言葉により,時を見極めよう(6)
イエスさまの死後約40年後、イエスさまの預言が成就します。イエスさまはどのような預言をされていたのでしょうか?20〜24節に記されていることです。
エルサレムは、ローマ軍によってエルサレムは包囲攻撃され、紀元70年に陥落しました。その時の状況はとても凄まじいものであったようです。資料を見ますと、その時は共食いをするまでになり、市内は文字通り石の上に石が残らないほど徹底的に踏みにじられたそうです。死亡者は110万人とも言われます。捕虜は9万7千人と言われます。神殿はこの時に廃墟になりました。この時にユダヤ人の国は歴史上から姿を消したのです。
イエスさまが「都に入るな。都にいる者は外に逃げろ」と言われたその訳がよくわかります。
そして現在、未だにエルサレムは完全な形では復興しておりません。それは現在が「異邦人の時」とされているからだそうです。それまでエルサレムは異邦人に踏み荒らされるそうです。
異邦人とは誰のことでしょうか?「パレスチナ」の言葉の意味を知っているでしょうか?先日ある冊子が届きまして、それで私も知ったのですが、「パレスチナ」という言葉は、歴史的にイスラエルを散々苦しめてきた「ペリシテ人」という意味があるそうです。2世紀にローマ皇帝がユダヤ人を忌み嫌っていて、そのためにペリシテ人の名前を登用して「パレスチナ」と名付けられたそうです。
聖書の歴史を見ると、ペリシテ人とイスラエル人の戦いはずっと続いておりました。ダビデが王となってからペリシテ人が登場しなくなってきます。だから現在、ダビデのような救世主が現れることによって、ペリシテ人からの解放、パレスチナからの解放が実現する、とユダヤ教の人々は信じているのです。
ではどんな人がそのようなことを成し得るのでしょうか?一般市民の働きによって実現可能でしょうか?おそらくそういうことではないでしょう。現在で言うならば、政治家です。力ある政治家によってのみ、パレスチナとの和解,解放が実現されるのでしょう。だから人々はそんな政治家を待ち望んでいるのです。
ところが、もしその様な政治家が登場し、異邦人をエルサレムから守り、そこに和平をもたらしたならどうなるのでしょう。28節に入ります。「それから」本格的な世の終わりが来る、というのです。
誰もが平和を待ち望んでいます。自爆テロと言われる事件。これを民族解放運動と取る人もいます。でもその働きのせいでどれだけの人が苦しむことになるのでしょうか?イスラエルにおいては、年間千件を越えるテロ活動があるそうです。そのほとんどが未遂で済んでいるとのことです。でも、そのせいで、エルサレムに住む人々は日々不安の中に生活をしているのです。早く平和な世の中になってほしい。早くこの事態を収拾できる人に登場してもらいたい。誰もがそう願うのです。
現在から見る聖書の預言の多くは、過去に成就した話と、これから起こること、その両方が記されています。
私たちは目先の生活に気を取られ、自分のとりあえずの必要のために駆け回ってしまいやすいものです。だからこそ、日々の祈りの中で、今がどういう世界なのか、そのことを見極め、やがて来る世に向けての歩みを心がけていく必要があるのです。
何もしなければ、目先にことに捕らわれていくのが自然な姿です。心して御言葉を聞き、本当に見るべきものを見るように注意してまいりましょう。
ポイント2 見えるものに惑わされないように注意しよう (8)
見るべきところを見る。しかし、それは同時に見えるものに惑わされないよう注意する必要があります。
終わりの時がいつなのか。それはイエスさまでもわからない、といわれました。ただ天の父のみがご存知なのだと。
しかし、今の世の中、聖書を知らなくても世の終わりが近づいているのではないか、と感じる人は多くいます。
ある宗派の人々はこの世は3千年間隔で世が更新されている、と信じたそうです。日本では仏教的な思想、輪廻転生、生まれ変わって新しいこの世に生まれるという考え方が浸透しています。でも、聖書は何と言っているでしょうか?
全てのものには初めがあって終わりがあります。作られたものはやがて壊れ、消滅します。時間の考え方。それは一直線なのです。クルクル廻った時間ではないのです。過ぎた時間に戻ることも出来ません。だから、この地上が造られた。最後にはなくなるのです。全てのものが調和して「良かった」と言われる世界に罪という歪が生じ、そしてやがてなくなってしまう。これが聖書の語る将来です。
ですから、人間の魂についても同じです。やり直しは出来ません。時間は一直線なのです。
この世に生まれた。やがて死んでこの世を去る。そうしたら魂となって神の御許にゆくのです。その時に、私たちがどのように生きてきたか、その事が問われます。そして人はその時のことを無意識に恐れているのです。
だから私たちを惑わす人々が登場するのです。この不安に対しての安らぎを与えようとして。そのことによって人々を神さまから離すために。
現在の新興宗教の数はとても多いと言われます。多くの人が見えるものに惑わされてしまうのです。
主は言われましたね。「私は道であり、真理であり、命である」と。このお方を通してでなければ誰も父のもとに行くことが出来ないと。その道が十字架なのです。
今はこの目では見えない。だから理解も出来ないかも知れません。しかし、全能の神に願ってみてください。霊の目を開き、道を示して下さいと。主イエスが私たちのために十字架にかかり、私たちを永遠の御国に入れるための道となってくださったことを知ることが出来ます。
この十字架によって、惑わしの声や見えるものに打ち勝ち、勝利の道を歩みましょう。
ポイント3 主を見上げることの幸いを覚えよう (18)
人間はなんだかんだ言っても弱いものです。目に見える所に頼りたくなるのです。不安、恐れがあると、手当たり次第に見えるものにすがってしまうのです。
だから、そんな私達に向かって主は言われます。「身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ」。
この世の終わり、来るべき世が来る時には本当に大きな大混乱が生じる、と聖書は言うのです。ですから、人々は苦しみ、戸惑い、不安に満たされるのです。
でも、その私達に主は何と言われるのでしょう?主が生まれる時に言われました。この名は「インマヌエル」と呼ばれると。それは、神さまはいつも私たちと共におられる、という意味です。
この世の終わりが来て、様々な天変地異が起こる。でもそれは同時に、私たちの救いの時である、と主は言われるのです。それこそが解放の時なのです。
私たちはどこに希望を置きますか?家族ですか?仕事ですか?財産ですか?それらのものはやがては消えていくものです。
ところが、主イエスは永遠のお方です。決して消えることのないお方です。
どうせ希望をおくのなら、完全な保証があり、永遠に信頼できる所の方が良いではないです。そうであるならば、この世のものではないですね。神さまです。
この神さまはご自身の独り子を皆さんに与えるほど、皆さんのことを愛しておられるお方です。そして全てのことを働かして、万事を益として下さるお方です。全知全能、何でも出来るお方であり、最高の権威を持ったお方です。全てのものの基礎になっているお方です。
このお方を信頼し、このお方を見上げ続けるものでありましょう。
不安の中、恐れの中、主は身を起こして頭を上げなさい、と言われます。それは、あなたの解放の時が近いからです。この希望のゆえに、力強く歩めるものとさせていただきましょう。