喬木教会説教
2002年7月14日

神の言葉の重み

ルカ21:29〜38

29それから、イエスはたとえを話された。「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。30葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。31それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。32はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。33天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」

34「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。35その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。36しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」

37それからイエスは、日中は神殿の境内で教え、夜は出て行って「オリーブ畑」と呼ばれる山で過ごされた。38民衆は皆、話を聞こうとして、神殿の境内にいるイエスのもとに朝早くから集まって来た。

 

 

 最近、自分のやるべきことを全て書き上げ、祈りの中で優先順位を決めていくと、一日がとてもスムーズに流れ、するべきことを片付けていけるようになりました。

 何気なく過ごしている毎日ですが、私たちは自分にとって本当にするべきこと、やるべきこと、大事なこと、それらを理解して過ごしているでしょうか?

 

 天地が滅びようとも決して滅びないものがあり、その言葉によって私たちは人の子の前に立てるようにしていただける、という約束をいただいております。

 

ポイント1 終末の信仰が今を支えることを覚えよう (33)

教会の歴史を見る時に、時々終末論が強調され、教会が分裂するという事件が起こっています。ホーリネスのムーブメントを日本で起こした中田重治師もその1人でありましょう。

なぜそうなってしまうのでしょう。考えればその理屈は簡単です。サッカーの試合でもそうでしたが、もうすぐ試合終了時間となる。であるのであれば勝っているチームは下手に攻めるよりも時間をかせいで遊び始めますね。「もう終わり」そう考える時に緊張の糸が緩み、今この地上でしなければならないことがおろそかになってしまうのです。そこで「再臨促進運動」というものも起こったとか

先日はアブラハム会で再臨のことを話しましたら、幸い喬木教会では「終わりが近いからこそ、今の生活を引き締めていかねばならない」という意見ばかりが出されました。この考え方、姿勢こそが私たちの持つべき、聖書で教えられている信仰であろうと思います。

 

ホーリネスでは、「新生、聖化、神癒、再臨」と言われます。この地上での生活で聖化を求めております。では、私たちを聖化に導くものは何でしょうか。それが再臨です。

主は「天地が滅びようとも、神の言葉は決して滅びない」と言われたのです。その言葉はとは、世の終わりが来ること。その時こそが私たちの解放の時だと主は言われるのです。ですから、この解放の時を待ち望んでいるのです。そしてこの時が近いからこそ、恥じることのないように、主からお誉めの言葉をいただくために、今を生きるのです。

 

セルフ・コントロールという言葉があります。自分自身を管理し、コントロールすることです。自分のことは自分で行うのですから、簡単に思える言葉でもありますが、しかしなかなか行うことの難しいことです。

いかにしてセルフ・コントロールを行うのか。それを考えると、セルフ・コントロールしている人々には共通点があるのです。その共通点とは「目的」がある、ということです。

 

ボクサーの減量。非常に苦しいものでしょう。それでも試合に出て勝利する。その目的のために自分をコントロールし、苦しい減量をやり遂げます。運動選手は勝利、栄光のために苦しい訓練によって自分を作り上げるようコントロールします。営業マンは目標達成のために、今するべきことを考えて自分をコントロールします。

 

ではクリスチャンは?やがてイエスさまが来られる時に、栄光の冠をいただけるように、今の自分のするべきことを見極め、主の召し,導きに従順に従っていくのです。

今の時代が永遠に続く、または死んで終わり、であるのであれば、私たちに目標は存在しなくなるのです。でも、主は明確に世の終わりが来ること、そして私たちが神の前に立たされて裁きを受けることを告げられました。

この目標を見定めて、自分をコントロールし、信仰の成長を求めて参りましょう。

 

ポイント2 心を鈍くしないように注意しよう (34)

信仰の成長。信仰にも成長段階があることをご存知でしたか?ヨハネの手紙にもそのことがはっきり記されておりますし、パウロも霊的な成長段階のことで語っている部分があります。

私たちはどのようにして成長するのでしょう?一般的に人が成長するには、時間をかけて、必要な栄養を取り、様々な経験をし、人の痛みを理解し、成長しますね。クリスチャンでも同じです。時間がかかります。必要な栄養である御言葉をたくさん必要とします。そして色々な経験をしますね。罪の痛みを知ります。そして成長していくのです。

 

ある程度成長しますと、御言葉の重要性をかなり認識します。ですから、神さまとの交わりをまず求め、その中で生活を形成していきます。

その心は、神さまから離れないよう、罪を避け、神さまを褒めたたえるようになります。神さまに向かって心が研ぎ澄まされてくるのです。

 

主は、全ての人々が主を知ることを望んでおられます。それは、全ての人々が神さまと心を一つにすることを望んでおられるのです。

ところが、それを望まない者もいますね。私たちを神さまから引き離そうと働く力があるのです。それは私たち自身の中にある「怠惰」であったり、自分の欲を最優先させてしまう「自己中心」であったり、又は世の悪しき力「サタン」であったりするのです。

 

そこで主は特に私たちに告げました。「放縦、深酒、生活の煩い」に注意しなさいと。なぜかというと、これらが主に対する私たちの心を鈍くするからです。

主は私たちに対してどのような約束を下さっているのか。「主の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる」(2コリント7:10)と言われ、「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私たちは知っています」(ローマ8:28)と言われます。

 

例え今が苦しい状況であっても、主はその状態を生かして最善の業を行ってくださるというのです。であるなばら、私たちのすることは何でしょう。決して心を主から離さず、主がなさろうとしておられる御心を求めながら、主に許されるところに従って行動を起していくことであります。

どんな状況にあろうとも、主を信じ、従える者でありましょう。

 

ポイント3 人の子の前に立てるよう常に祈ることの大切さを覚えよう (18)

主は、この世の終わり、終末に起きる出来事を詳しく教えて下さいました。これはとても恐ろしい内容であります。様々な天変地異、戦争、裏切、災害。人々の愛は冷めるとさえ言われております。そのような中で人々が苦しまなければならない、というのであれば、私たちはその状況に耐えられるのでしょうか?とても心配になります。

クリスチャンはキリストの名のゆえに大迫害を受けるといわれているのです。皆さんは耐え抜く覚悟をお持ちでしょうか?

 

しかし、主は苦難と共に逃れの道をも用意して下さるお方です(「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」1コリント10:13)

その主が言われました。「しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい」と。

それは、この苦しみ、大患難時代と呼ばれる時が来る前に主が再びこの地上に来られ、私たちを天に携え挙げられるというのです。そしてその時がいつなのか。それは何度も言うようにわかりません。ただ、近いことだけは事実です。

だから主は言われるのです。「いつも」目を覚まして祈っていなさいと。

 

「いつも目を覚まして祈りなさい」。これが主は十字架にかかる直前に言われた、私たちに対する最後の警告にもなるのです。

その警告をされた主は、日中は教えに専念し、夜は山で過ごされた。別に野宿が好きだった訳ではないでしょう。夜はひたすらに祈っていたのです。

 

祈りの生活がなけらば、私たちはこの世の出来事、生活によって煩うばかりです。教会には「祈り会」があります。ぜひ、祈り会への参加から、個人生活の中へいたるまで、祈りの習慣を浸透させましょう。

 

主の言葉を真実として捕らえる時、私たちの「祈りの生活」が始まります。