喬木教会一般礼拝説教
2003928()

遣わした方に栄光         ヨハネ福音書7章1024

 ◆仮庵祭でのイエス

10 しかし、兄弟たちが祭りに上って行ったとき、イエス御自身も、人目を避け、隠れるようにして上って行かれた。11 祭りのときユダヤ人たちはイエスを捜し、「あの男はどこにいるのか」と言っていた。12 群衆の間では、イエスのことがいろいろとささやかれていた。「良い人だ」と言う者もいれば、「いや、群衆を惑わしている」と言う者もいた。13 しかし、ユダヤ人たちを恐れて、イエスについて公然と語る者はいなかった。

14 祭りも既に半ばになったころ、イエスは神殿の境内に上って行って、教え始められた。15 ユダヤ人たちが驚いて、「この人は、学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう」と言うと、16 イエスは答えて言われた。「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。17 この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。18 自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。19 モーセはあなたたちに律法を与えたではないか。ところが、あなたたちはだれもその律法を守らない。なぜ、わたしを殺そうとするのか。」20 群衆が答えた。「あなたは悪霊に取りつかれている。だれがあなたを殺そうというのか。」21 イエスは答えて言われた。「わたしが一つの業を行ったというので、あなたたちは皆驚いている。22 しかし、モーセはあなたたちに割礼を命じた。――もっとも、これはモーセからではなく、族長たちから始まったのだが――だから、あなたたちは安息日にも割礼を施している。23 モーセの律法を破らないようにと、人は安息日であっても割礼を受けるのに、わたしが安息日に全身をいやしたからといって腹を立てるのか。24 うわべだけで裁くのをやめ、正しい裁きをしなさい。」

 

 

 

先週の火曜日に父が召されました。55歳でした。生前の父は、自分勝手という言葉がぴったりの人でしたが、その死に際しましては、本当に多くの友人が来て、涙を流しながら、葬儀のために、これからのために力を貸して下さいました。なぜ自分勝手な父にこんなに素晴らしい友がいるのだろうか、と考えてしまいました。

わかったことは、父は自分中心の考え方だったかも知れませんが、それでも困っている人、自分のもとに来た人のためには一生懸命尽くす人だった、ということであります。

自分をさておき、他人のために尽くすことが出来るとき、幸福な人生を歩めるのかも知れないと思わされました。

 

 聖書は「人間マニュアル」とも言われますが、私たちが幸福に生きるための道を示しております。それが今日の箇所、イエスさまの主張にあります。自分の栄光ではなく、あくまでも父の栄光を求めることです。その幸いを見てみましょう。

 

@     心が守られる(12)

私たちの人格は、「心」にあるものが「思い」になり、「思い」が意思や知性や感情に働きかけて「行動」が生まれます。そして「行動」が習慣になり「人格」が形成されます。そのため、箴言4:23には「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある」と言われております。

心を攻撃してくるのは、世のしきたり、伝統、噂話、サタンの誘惑、自分の欲です。特に人の言葉は心を動かします。噂に惑わされると、心が揺れます。そうなると、揺れた心が自分を作るので、自分が揺れます。

イエスさまは「自分を遣わした方のために」と生きていました。それが目的だったのです。そのため、どんな噂話にも左右されませんでした。

神のために生きること、それが私たちの心を守る秘訣なのです。そして心が守られる幸いを頂きましょう。

 

A     大胆になれる(14)

弱々しい人を見るとイライラすることがあると思います。「はっきりしろ!!」と言いたくなることがあるでしょう。誰でも強く雄々しくありたい、と願うことがあるのではないでしょうか。

ではどのようにしたら強く雄々しくなれるのでしょう?

私たちの背後に何があるか、で決まります。ですから私達は、親の権威、上司の権威、国の権威があると強くなれるのです。ましてや、神さま、という権威がついていたらどうでしょうか?全てを支配しておられるお方の権威です。何をするにしても、力と威厳に満ち溢れて行動できるでしょう。

イエスさまは命を狙われ、色々な噂話をされ、非難されていたのです。そのイエスさまが動かされることなく、大胆に自分の語るべきことを語れたのは、まさに神の権威によるものであります。

自分を遣わした方の権威を認め、その権威で行動するなら、力強く行動できます。神に遣わされ、生かされているのですから、この権威に留まり、強く雄々しくなれる、その恵みを頂きましょう。

 

B     自分のアイデンティティが築かれる(16)

私達はなぜ今、この時代に生きているのでしょう?誰のための人生ですか?何のために生きているのですか?自分のなすべきことが判る人生はどんなに幸いでしょうか。

自分がどこから来て、どこに行くのか。自分が何者なのかわからなければ、自分を確立することが出来ません。それは土台を持つことが出来ないということです。土台がなければ、どんなに立派な建物を建てても、ちょっとの災害で崩れる可能性がある、ということです。

イエスさまはあくまでも、自分ではなく、神に土台を据えました。その結果、何があっても自分の使命を忘れず、その使命に生きることが出来たのです。

父なる神から遣わされた者として生きることは、私たちの人生に土台を据えることです。堅固な土台であればあるほど、高く、立派な建物が築かれるでしょう。この幸いを自分のものとしましょう。

 

 自分の幸せを追い求めても、幸せは逃げていくものです。逆に人の幸せを願う時、自分の心が満たされます。ならば、神の祝福を求め、神の栄光を求めてみませんか。神さまの祝福を願う私たちが祝福され、栄光を受けようになりますよ。

 神に遣わされた者として、神の栄光を求めてまいりましょう。