喬木教会礼拝説教
2003年11月30日(日)

真理は自由を与える       ヨハネ 8章31〜38節

◆真理はあなたたちを自由にする

31 イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。32 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」33 すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」34 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。35 奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。36 だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。37 あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている。だが、あなたたちはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉を受け入れないからである。38 わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている。」

 

世の中で「危機」と言われるその状況は、実は「チャンス」である、ということが言われます。イエスさまは山上の垂訓(マタイ5:1~12)をはじめ、説教を語られる中で、世の常識とは逆、と思えることをたくさん語られました。

マイナスと思われるその出来事が、実は私たちにとって、大きなプラスであることを知ることが出来ますね。ですから、今日は、「自由」、これが「不自由」と思われている部分の中にあることを覚えましょう。

 

ポイント1 真理とは何でしょう? (32)

マトリックスという映画があります。とても人気のある映画なのですが、その内容については「難しい」という言葉をよく聞きます。現実と思っている世界が実は現実ではない。そんな話です。

もし、現実の世界が現実ではない。実は他に世界があって、私達はその、今見えていない世界に属している存在だった、となったらどうでしょう?どう思いますか?あまりにも非現実的で考えることも出来ないでしょうか?

ヨハネによる福音書では、「真理」という言葉がたくさん出てきますね。どういう意味でしょうか?

わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」とイエスさまは言われました。私たちは真理を知ることで、自由になる、と。

広辞苑で「真理」を調べてみると、こう書かれています。「本当のこと。まことの道理。(中略)倫理的・宗教的に正しい生き方を真理ということもある」と。

マトリックスの世界。ここでは最初、主人公が現実の世界に満足できず、何か知らないけど、「真実」と思えるものを探している姿が描かれていました。その後、彼は仲間たちと、真実を現実とするためにマトリックスと戦うという内容です。

「正しい生き方」、「正しい場所」、私達はそこに立っていないと、どうしても不安を拭うことは出来ませんし、自由を得ることが出来ないのです。

進化論が蔓延している世界では、私たちの存在は「偶然の産物」とされてしまい、自分が生きている、そのことに意味を持たせない。そして自分の思いを最優先させることを奨励するような風潮を作り出す。その結果、私達は正しい生き方を忘れ、本来の自分の姿を見失ってしまうのです。

本当の自分。真理とは何でしょうか?

どんなに着飾っても、どんなに立派な行いをしても、どんなに富を築いても、どんなに知識を増やしても、どんなに社会的に立派な地位を得ても、相変わらず私たちの心には孤独があり、劣等感があり、自己嫌悪や過ち、癒されることのない過去の傷、罪責感や性格上の悩み、そして何よりも死に対する恐怖、これが存在するのです。これこそ真理、ではないでしょうか。

しかし、真理がそれだけで終わってしまったら、私たちには生きていくことが出来ないですね。この真理を知った所で「自由」になった気は全くしません。ですから、自己の汚れは真理の一面でしかないのです。

イエスさまの示す真理とは、どうしようもなくなった自分の真理、真実の自分から、イエスさまの真理へ進んで行かなければなりません。それは、イエスさまが私たちに対して抱いている思い、そしてなして下さった御業です。

すなわち、イエスさまが私たちの罪を背負って十字架について下さったこと。私たちはそれを信じることで、全ての罪が赦され、神の子とされること。私たちの国籍が天に移され、現実の世界だけではなく、神の国の住民として生きることであります。

この神の国があり、その国で生きること、この真理を知る時に、私達は現実の世界から「自由」にされるのです。

 

ポイント2 自由にしていただく (36)

私たちの存在は、決して偶然の産物ではありません。進化論が言うように、弱いものは滅ぼされ、強い者が生き残った、そういう世界ではないのです。全てのものに秩序があたえられ、意味、役割、そして目的があって造られている。その中の一部として、神から愛され、目的を与えられてこの世に生まれ、そして生きているのです。

であるならば、私達は生きる目的があるわけです。でも、最終的には、神の国に行き、神さまとお会いすること、という目的があるわけですが、この地上で何をするべきなのか。このことにおいては人それぞれ才能(賜物)が違い、簡単に見出すことが出来ないことかも知れません。

しかし、生まれる前から、「この目的のために生まれる」と預言されていたお方がいます。目的だけではなく、生まれる時期、生まれる場所、どのような人から生まれるのか、そこまで預言されて生まれた方がいるのです。誰でしょう?そう、イエスさまです。

聖書の預言で外れたものは一つもない。そういわれますが、イエスさまは、まさに預言の通りに生まれて来られたのです。そして、預言の通りに、罪を贖ういけにえの小羊として十字架の上で屠られ、墓に葬られました。しかし復活し、天に昇り、今、その神の子としての権能は永久に続くものとなったのです。

だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる」と、イエスさまが言われました。預言の通りに生まれ、神の権能を持ったお方が自由にするのであれば、人は本当に自由になるのです。

自由を得るためにはどうすればよいのでしょうか?

このイエスさまが、私たちの罪を背負って十字架について下さった。と信じることです。罪が背負われたと信じるのですから、今現在は、私たちには何一つ罪がない!!そういうことになるのです。

神さまは私たちを創造されました。どのように造られたのかというと、私たちに「自由意志」というものを与えて下さったのです。この「自由意志」で、自分がどう生きるのか、「選択」することが出来るようになったのです。

イエスさまによって真理を示され、その真理を自分の真理として受け入れ、罪から解放されている、と信じてその道を歩むのか。それとも、いや、聖書で示されている真理は、あくまでも神話であって、本当ではないので、自分で生きる力を付けて乗り越えていかなければならない、と信じてその道を歩むのか。

そのどちらかを選ぶのは、私たち自身なのです。そして選んだ通りの人生が築かれて生きます。どちらを選びますか?自由と、喜びである道を選びましょう。

 

ポイント3 子のもとに留まる (38)

今日からアドベントですね。イエスさまが生まれた日を記念する、準備をする期間と言われます。この期間の準備、どのように準備するのでしょうか?本日の礼拝後、クリスマス・ツリーを出すわけですが、そのような準備のことでしょうか?まさかそれだけではないですよね。

イエスさまが誕生すること、これが間違いなく聖書に預言されていて、その通りになった。預言の通りになったわけです。その預言は350回出てきたそうです。この350回全てが100%成就したのです。350回の預言が100%的中するという確立はというと、限りなくゼロに近いですよね。100の預言が成就する確立だけでも、2の100乗分の1(10の30乗分の1)だそうです。わけ分かりませんね...とにかく、全て的中とは凄いわけですよ。

これだけの的中率ですから、聖書の預言を無視するわけには行かないですよね。ですから、この預言を引き続き注意して見ていく必要があるわけです。そして預言を見ると、イエスさま誕生の預言は350回。そして十字架で葬られ、復活される。そのイエスさまが再びこの地上に来られることまでが、聖書で預言されていることに気付くわけです。再びイエスさまが来られる預言。これは何回くらい出てくるのかというと、1,500回だと言われております。

的中率100%の預言が1,500回も、私たちにイエスさまが再び来られますよ、と告げているのです。この回数を見るだけでも、私たち何かを告げるメッセージのようですよね。

わたしは父のもとで見たことを話している」と言われます。「父」とは誰でしょう?まさか母マリアの夫であったヨセフではないですよね。父とは天地万物を造られた創造主、全知全能の父なる神を指すのです。このお方のもとで語られた預言が、100%の的中率を見せた。ですから、イエスさまの言葉には聞き従う価値が十分にありますよね。

私達は、イエスさまが天地万物を造られた父なる神の言葉を語られていることを、信じるのです。であるならば、罪からの解放という恵みを頂く上に、このお方が語られることを注意深く聞き、いつまでも主に聞き従える者とさせて頂きたいと思います。

このお方に聞き従う時に、私達は道を間違えることがなくなるのです。

 

主に従うこと。そこに私たちの真理があるのです。この真理は、時に「無理」と思わせることを要求もしてきます。しかし、私達はその要求にも聞き従える価値があることを知りました。その要求とは、私たちが一番自由人として、自由を満喫できる道であることを覚えたいと思います。

主に聞き従って参りましょう。