喬木教会礼拝説教
2003年12月24日(水)
民全体に与えられた喜び <ルカ 2章8〜21節>
◆羊飼いと天使
8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
14 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
ポイント1 光の内に住みましょう (9)
光と闇、皆さんはどちらが好きですか?
私自身がそうなのですが、程よい明るさが良いですね。自分の欠点も隠すことが出来ますし、かといって何も見えないわけではない。自分にとって非常に都合が良いのです。寝るのにも最高ですね。
夜、羊の番をしていた羊飼いたち。光は焚き火だけ。ほど良い明るさ。寝るのに最高の状態。でも寝てはいけない。うとうととした気持ちの良い状態ですね。それがしばらく続きました。その時です!!
急にあたりが明るくなりました。草の一本一本がしっかりと見えるほどにです。羊の番をサボって寝ていた、その落ち度まではっきりと見えます。
明るみの中に出される。どうでしょう。光が当てられて、何でもかんでも良く見えるようになってしまったら。おそらく、私たちはあまり居心地は良いとは言えないと思うのです。
でも、羊飼いの所には、まず光が照らされて、それから「喜びの知らせ」が告げられるのです。
私たちは、何とか幸せになろうとして、自分の中の暗い部分。人から賞賛されないような部分。恥ずかしい部分。心に持っている傷の部分。そういう所は常に暗闇に隠しておきたいと思うものです。
でも、喜びの人生、幸いな人生に入る前には、必ず全てに光が当てられて、隠しておきたいものまでが顕にされるのです。なぜなら、その心の闇の部分を補って、癒して下さる方が私たちに与えられるからなのです!!
明るい光の中に置かれても、心にやましさを持つことなく、しっかりと立てる自分とされたくはないですか?光の中を歩む者とさせて頂きたいと思います。
ポイント2 救い主の誕生を喜び、迎えましょう (10、11)
光の中に立つためには、自分が何者で、何処から来て、何処に行く存在なのか知っておくと良いと思います。皆さんは何処に行くのでしょうか?
日本で教えられている進化論。これはただの論として教育されるのですが、この思想が意外と私たちの生活の奥深くにまで入り込んでいることがあります。それは、「死」をどう見るか、そこに関わってきます。
進化論は、「生」は偶然の産物とします。「死」は、弱い立場のものが、強い立場の者を生かすための過程として捕らえますね。強者は生き残り進化する。弱者は死んで滅びる。そもそも生が偶然だから死も偶然となる。
でも、聖書は全く違うことを言います。私たち一人一人は愛されている存在で、決して偶然の産物ではない!!と言います。一人一人に目的があり、その目的を果たす上で重要な存在とされている。しかも、その生き方は、喜びを力の源として、喜びによって生きることを求められているのです!!だから天使は、「大きな喜びを告げる」と言ったのです。あなたたちが生きるために、本当に必要な知らせですよ、ということです。
その「喜ぶために必要な知らせ」とは、「救い主」が生まれることでした。この救い主によって、私たちが持つ、自分のやましい部分がなくなり、光の中に住めるようになる。この状態こそ、様々なしがらみから解放された、喜びに満ち溢れる状態でなのです。
この知らせは、今から約2千年前の知らせです。だから、私たちには既に救い主が与えられているのです。救い主を自分の主として喜べるクリスマスとしましょう!!
ポイント3 讃美の人生を送りましょう (14)
この救い主はどのようなお方だったでしょうか?布にくるまって、飼い葉おけに寝かされている救い主です。日本でいう馬小屋は木造の、どことなく温かみのある建物ですが、イスラエルにおける馬小屋、家畜小屋は、洞穴の中です。風通しも良くないでしょうから、匂いも相当なものでしょう。衛生的にも良くないですね。そして飼い葉おけも、桶というわりには、石で出来ている、非常に冷たいものです。
子どもが生まれる時、皆さんはどのような環境で迎えたいと思いますか?最近は生まれる前に全てをそろえて起きますよね。ベッドから服、哺乳瓶、オムツ、部屋、遊び道具まで。最高に良い環境に迎えてあげたい。それが親やおじいちゃんおばあちゃんの願いですよね。
でも、救い主は違った。生まれた時から最悪な状況。聖画を見ると、やたらと綺麗な情景が描かれていますが、そんな綺麗なものではない。それが世の救い主のお生まれになった場所です。なぜそんな場所なのでしょう!?
この世には同情という言葉がありますが、どういう人が本当に同情できる人ですか?いつも親に守られ、親の備えた会社に就職し、一生お金に困らず、大きな屋敷に住んだ人が、生活難で苦しんでいる人に同情できるでしょうか?出来ないでしょうね。
救い主は、生まれた時から最悪の状況でした。そして社会の底辺に住み、貧しさ、人間の苦しみのどん底に常に立って育ち、最後には人の罪全てを被って十字架に付いたお方なのです。だから、何が言えるでしょう。このお方が自分の罪を全て背負って死んで下さった、ということを信じることで、自分の罪が全て帳消しにされている、ということです。それプラス、これだけの苦しみを背負った方であるからこそ、このお方こそが私たちの持つ、様々な苦しみを、心の底から同情することが出来るお方なのです。
聖書の「同情」という言葉は、安っぽいものではありません。はらわたから同じ苦しみを味わう、というような意味なのです。本当に苦しみ共に担って下さるのです。
尊い計画の中でこの世に生まれた私たち一人一人。創造主なる神は間違いなく皆さんを愛しておられます。だからこそ、皆さんが自分の罪の故に苦しんでいるのに、放っておくことは出来ないのです。だから救い主を送り、常に、共に歩んで下さる方として下さいました。
自画自賛の人生は片意地を張ってしまうので疲れます。自分ではなく、私たちを愛する、その愛の故に多くの苦しみを味わって下さった救い主、イエス・キリストを崇める人生を送りましょう。これは、喜びの人生への招待なのです。招待を受け、喜びある人生を歩んで参りましょう!!