喬木教会礼拝説教  2005年2月27日(日)

さらに豊かに   マタイ福音書25章14〜30節

◆「タラントン」のたとえ

 14 「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、 僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。15 それぞれの力に応じて、一人には 五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅 に出かけた。早速、16 五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、 ほかに五タラントンをもうけた。17 同じように、二タラントン預かった者も、 ほかに二タラントンをもうけた。18 しかし、一タラントン預かった者は、出て 行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。
 19 さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を 始めた。20 まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを 差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧くだ さい。ほかに五タラントンもうけました。』21 主人は言った。『忠実な良い僕だ。 よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。 主人と一緒に喜んでくれ。』22 次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。 『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラ ントンもうけました。』23 主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。 お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒 に喜んでくれ。』24 ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。 『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められ る厳しい方だと知っていましたので、25 恐ろしくなり、出かけて行って、あなた のタラントンを地の中に隠して/おきました。御覧ください。これがあなたの お金です。』26 主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から 刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。27 それなら、 わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、 利息付きで返してもらえたのに。28 さあ、そのタラントンをこの男から取り上 げて、十タラントン持っている者に与えよ。29 だれでも持っている人は更に与え られて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。 30 この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりする だろう。』」

 地上の生涯とは、必ずしも自分の願った通り、計画した通りにはいかないものですね。 そんな私たちに、どのように生活するべきなのか、聖書は教えてくれています。

 @ 与えられた賜物をもって、神に仕える
 賜物をわかりやすく言えば「才能」と言えるかも知れませんが、それが神さまからの贈り 物として与えられた、ということで「賜物」と言います。
 15節で、それぞれの力に応じてタラントンが与えられた、とありますが、神さまは私 たちに賜物を与えて下さっています。どんな賜物が与えられているか、確認してみま しょう。自分にとって、「こんな小さなもの」と思えるような賜物であっても、神さまは それを用いることを望んでおられます。思い切って用いてみましょう。大きな喜びが 与えられます。

 A さらなる祝福を頂きましょう
 賜物を上手に用いた結果、どうなるのでしょう?
 主人が帰って来て、タラントンをどのように用いたか報告した僕たち。多くを稼いだ 僕に対して主人は、さらに多くの賜物を与え、喜びを共にしよう、とおっしゃいます。
 私たちの地上における生涯は、休息を得るためのものではく、天の神さまと喜びを 共有するためのものかも知れません。
 主人、父なる神さまのために賜物を用いると、さらなる賜物が加えられます。これは、 私たちにとって、大きな喜びになります。この祝福を頂きましょう。

 B 神さまとの信頼関係を結びましょう
 1タラントン預かった僕は、何もせずにそれを土に埋め、主人にそのまま返しました。 預かったものをそのまま返すのですから、特別悪いことをしているようには思えませんが、 主人はカンカンになってこの僕を追い出しました。これはどういうことを意味するの でしょうか?
 賜物が与えられた。それは、その賜物を用いるに相応しい、と神さまから認められている、 ということです。ですから、それを用いることは、与えて下さったお方を信頼している、 という行為になるのです。
 賜物を用いないと、それは神さまを疑っている、ということになるのです。
 与えられた賜物を用いる時、私たちは神さまの懐に飛び込んで行くことになるでしょう。 その行為を主は喜んで下さるのです。その喜びの中で、主との信頼関係を結びましょう。

 与えられた賜物を用いる時、天国にある喜びを先取りする生涯になります。私たちは、 自分で自分の生涯をどう歩むか、ではなく、神さまから与えられた賜物をどう用いて、 神さまをいかに喜ばせるか、ということを中心に歩むことによって、大いなる祝福に 預かることが出来るのです。
 与えられた賜物を用いて、豊かな祝福を頂きましょう。