|
喬木教会礼拝説教
2005年5月8日(日)
主に好意の行為を捧げる
ヨハネ福音書12章1〜8節
◆ベタニアで香油を注がれる
1 過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中から
よみがえらせたラザロがいた。2 イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕
をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。3 そのとき、
マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、
自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。4 弟子の一人で、
後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。5 「なぜ、この香油を三百デナリオ
ンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」6 彼がこう言ったのは、貧しい人々の
ことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、
その中身をごまかしていたからである。7 イエスは言われた。「この人のするままにさ
せておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。8 貧しい
人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」
誰かにプレゼントをしようとしたら、その人が一番喜びそうな物を選びますよね。
そのため、「喜びそうな物」を探すのが難しい!!と思って、買い物に苦労した経験は
ありませんか?
他人を喜ばせることの難しさを覚えますね。それだけに、プレゼントを受け取った
人が本当に喜んでくれると、こちらも本当に嬉しくなります。
人間関係の中で、プレゼントをあげる難しさと、喜んでもらえる幸いを経験する私たち
ですが、この経験は、そのままイエスさまにも当てはまりますね。イエスさまに喜んで
もらえるプレゼントが出来るなら、私たちの心はいつも喜びで満たされるのですよ。
マリアは、弟子たち(世の中)の常識では考えられないようなプレゼントをイエスさまに
しました。ユダはマリアを責めますが、そこに自分の姿も重ならないですか?世の常識、
自分の価値観に縛られる自分がいるのです。
マリアは、イエスさまの喜ぶことを知り、それを率先して行いました。なぜそのような
行為が出来たのでしょうか?
彼女はイエスさまの心を知っていたのです。そして、今の私たちも、聖書、デボーション、
を通して知ることが出来るのですよ。
御言葉をしっかりと聞き、主の御思いを知るならば、私たちはイエスさまを喜ばせる
贈り物が出来ます。自分の価値基準や世の常識に縛られた、自己満足の捧げ物ではなく、
本当に主が喜んで下さる、最高の贈り物を捧げることが出来るのです。
主が喜ばれる時、私たちの心も喜びに満たされます。
主に喜ばれる、最高の贈り物を捧げる生涯を送りましょう。
|