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喬木教会礼拝説教
2005年6月26日(日)
勝利の相続人
ガラテヤ書 4章1〜7節
1 つまり、こういうことです。相続人は、未成年である間は、全財産の所有者であっても
僕と何ら変わるところがなく、2 父親が定めた期日までは後見人や管理人の監督の下にい
ます。3 同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕
えていました。4 しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生
まれた者としてお遣わしになりました。5 それは、律法の支配下にある者を贖い出して、
わたしたちを神の子となさるためでした。6 あなたがたが子であることは、神が、「アッ
バ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。
7 ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた
相続人でもあるのです。
今から64年前の話になりますが、戦中、日本にも様々なキリスト教の教派がありましたが、
国によって各教派を一まとめにし、日本基督教団となりました。翌年1942年、その教団内
の6部と9部と呼ばれていましたが、ホーリネス派の教会の牧師だけが、罪名も示されな
いまま一斉検挙されました。そのことで、教会、牧師家庭、信徒は非常な苦しみを経験し
ました。
歴史上、教会は様々な迫害に遭っていますが、なぜそのような迫害の中を通ってでも教会
は存続し、また力を持っているのでしょうか?
今は、目に見えないものを信用するのが難しい時代かも知れませんね。目に見えるもの
を「確実」としてしまいやすいものですが、本当にそうなのか?いや、目に見えるものも確
実とは呼べない時代でもあります。
何を信用して良いのかわからない状況ですが、そんな中、目に見えない事実を確認、確信
することが信仰である、と聖書は言います。
信仰の世界には何があるのでしょうか?目に見える形で、私たちが何かを持つ、という
ものではないのかも知れませんが、しっかりとした、私たちをよく生かし、私たちを強め
るものがあるようです。
日本においても迫害がありましたが、そのような中でも決して「棄てたい」と思わないほど
のものです。
信仰によって神の子とされる。それは、目に見える何かによって保証されるものではないの
かも知れません。でも、その目に見えない事実によって、私たちは確実に変わるのです。
信仰によって神の子とされる私たちです。
目に見えるものに捕らわれず、見えない世界に目を向けて、聖書を通して与えられている
約束を握りしめましょう。
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