喬木教会礼拝説教  2005年7月17日(日)

教会=共同体=神の家族
  コロサイ人への手紙 3章12〜17節

 12 あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、 慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。13 互いに忍び合い、責めるべきことがあっ ても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じよ うにしなさい。14 これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成さ せるきずなです。15 また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。 この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも 感謝していなさい。16 キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。 知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神 をほめたたえなさい。17 そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名に よって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。

 先日読んだ本で教えられたのですが、私たちを表す漢字に「人」がありますが、もう一つ 「人間」という漢字もありますね。この理由は、私たち「人」は、「世間」という人と人の間に あって生きる存在だから、ということでした。
 確かに私たちは一人では生きていけませんね。それで、聖書、旧約の時代は個人という よりも、民としての「共同体」、また新約の時代になってからは「教会」という、イエスさま を頭にした共同体を召し、その中で導き、奇跡を行われました。

 私たちは国際社会、国、地域、家族、と必ず共同体に属する者ですが、共同体に属する ということは、責任を負う、ということを覚えなければならないと思うのです。責任や義 務を負わずに共同体は形成できないからです。
 今日の聖書箇所は「あなたがた」と、あなたを指すと同時に、共同体への勧めがなされ、 それぞれ負うべき責任、義務が記されているのです。

 ただ、共同体だから、何でも責任や義務で結びつけようとするなら、私たちは窮屈さを 感じ、その集まりには魅力を感じられないでしょう。それで聖書は、「これらすべてに加え て、愛を身に付けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです」(14節)と語ります。
 愛によって結ばれる共同体、どんなに魅力的な共同体になることでしょうか。

 愛によって結ばれる共同体を形成するためには、私たちは自分を捧げ、何かを犠牲にし なければなりません。
 今私が教会に対して抱いているビジョンは、週の半ばに時間を捧げ、集まることの出来 る小グループを形成することです。その中において、初代教会で行われていたような交わ りが生まれるたら、どんなに素晴らしいでしょうか。

 批判や文句を言うのは簡単です。でも、家族として、共同体として召されたからには、 批判や文句を言う代わりに、本当の共同体という家族を目指して自分を捧げるようにして みましょう。とりあえず、自分の隣人に電話かける。会いに行く。声をかける。そして執 り成しの祈りをする。このことを心がけていきましょう。