喬木教会礼拝説教  2005年7月24日(日)

見るものに似るならば
  コロサイ人への手紙 2章6〜15節

◆キリストに結ばれた生活

 6 あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストに結ばれて 歩みなさい。7 キリストに根を下ろして造り上げられ、教えられたとおりの信仰をしっ かり守って、あふれるばかりに感謝しなさい。8 人間の言い伝えにすぎない哲学、 つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。 それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。 9 キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形をとって宿 っており、10 あなたがたは、キリストにおいて満たされているのです。キリストは すべての支配や権威の頭です。11 あなたがたはキリストにおいて、手によらない割礼、 つまり肉の体を脱ぎ捨てるキリストの割礼を受け、12 洗礼によって、キリストと共に 葬られ、また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に 復活させられたのです。13 肉に割礼を受けず、罪の中にいて死んでいたあなたがたを、 神はキリストと共に生かしてくださったのです。神は、わたしたちの一切の罪を赦し、 14 規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に 釘付けにして取り除いてくださいました。15 そして、もろもろの支配と権威の武装を 解除し、キリストの勝利の列に従えて、公然とさらしものになさいました。

 日本の文化は、「恥の文化」と言われます。「恥」をかかないこと。「恥」かかない ために行動する。という具合でしょうか。どちらかというと、守備に徹した生き方を選 び取る傾向が強いのかも知れません。
 先週参加した、ゴスペル・コンサートで、アメリカから来た牧師が、「神の子とされた ことを誇りにしている」といいました。それが日本に来て、伝道する理由だ、と。
 パウロも「私は福音を恥とはしない」(ローマ1:16)と言いました。「誇り」から行動が生まれ、 「誇り」ゆえに伝道の生涯を全うしたのです。

 キリストを信じる、という行為を「恥」と考える人が多いようです。でも、これは実は 恥ではないですね。
 今日の箇所を見ると、キリストに結ばれる時、私たちは罪赦され、キリストと共に生 きる者にされる、と。
 キリストを信じる時に、初めて自分の弱さを認め、等身大の自分で生きていくことの 出来る強さを得ることが出来るのです。このキリストに結ばれたことを、「誇り」とする 生き方が生じるのです。

 キリストに結ばれること。これは聖書が私たちに求める生き方です。
 キリストに結ばれ、キリストだけを見つめ、キリストに似た者になりましょう。