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喬木教会礼拝説教
2005年8月14日(日)
奉仕の幸い
エフェソ 2章1〜10節
◆死から命へ
1 さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。
2 この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に
今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。3 わたしたちも皆、こういう
者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動
していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者
でした。4 しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、
その愛によって、5 罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、
――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――6 キリスト・イエスによって共
に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。7 こうして、神は、キリスト
・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵み
を、来るべき世に現そうとされたのです。8 事実、あなたがたは、恵みにより、信仰に
よって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。9 行い
によるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。10 なぜなら、
わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い
業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業
を行って歩むのです。
もともと罪の中にいた私たちは、その束縛から逃れる術を得ませんでした。
その罪の中で苦しむ私たちをこの上なく愛して下さったお方が、キリストによる救いを
無償で、プレゼントして下さったのです。
このお方によって生かされる時、私たちの前に祝福の道が開かれます。
今まで、得よう、貯めよう、と内側を満たすばかりの生き方から、与えよう、捧げよう
と外側を、満たそうとする生き方に変えられるからです。
私たちにとっての幸せは、自分のために生きるのではなく、無償で最高の恵みを与えて
下さった神さまの善い業を行う時に生じるものなのです。
主は、隣人を自分のように愛しなさい、とおっしゃいました。
隣人を愛し、神を愛する。具体的に自分の行為を捧げることによって、神さまからの祝
福をいただきましょう。
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