喬木教会礼拝説教  2005年8月28日(日)

定められていた事実
  1コリント2章6〜16節

◆神の霊による啓示

 6 しかし、わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の 知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。7 わたしたちが 語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるため に、世界の始まる前から定めておられたものです。8 この世の支配者たちはだれ一人、この 知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったで しょう。9 しかし、このことは、
 「目が見もせず、耳が聞きもせず、
 人の心に思い浮かびもしなかったことを、
 神は御自分を愛する者たちに準備された」
と書いてあるとおりです。10 わたしたちには、神が"霊"によってそのことを明らかに示して くださいました。"霊"は一切のことを、神の深みさえも究めます。11 人の内にある霊以外に、 いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者は いません。12 わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたち は、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。13 そして、わたしたちが これについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉によるのではなく、"霊"に教えられた言葉 によっています。つまり、霊的なものによって霊的なことを説明するのです。14 自然の人は 神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解でき ないのです。霊によって初めて判断できるからです。15 霊の人は一切を判断しますが、その 人自身はだれからも判断されたりしません。
16 「だれが主の思いを知り、
  主を教えるというのか。」
しかし、わたしたちはキリストの思いを抱いています。

 私は新学期を迎える時、いつも「今学期こそ真面目にやるぞ!!」と熱意に燃えていました。
 ところが長くもちません…いつも途中(始まってすぐでしたが)挫折します。そんなことを 繰り返していくうちに、目標を立てる、希望を持つ、なんていうことがなくなってきました。
 今振り返り、なぜ決意が長続きしなかったのか考えてみると、最終的な目標がなかったから ではないか、という気がしてなりません。

 コマーシャルを見ると不思議ですね。潜在であり、食材であれ、家具であれ、それを手に 入れることで、最上の幸せを得ることが出来るのではないか、と思わされてしまいます。 製作する方々の知恵に頭が下がりますね
 でも、CMが原因というわけではありませんが、私たちは幸せを目先に求めすぎているよう な気がしてしまいます。幸福を、目先に設定しすぎてしまい、永遠に目を向ける、というこ とが出来なくなっているのではないでしょうか。
 7節を見ると、「わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての 神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられた ものです」とあるように、この世界が始まる前から定められていたものがある、と聖書 は言います。

 自己実現、自分の欲望を満たすために目先に目を向けるのではなく、神のご計画に目を 向ける時、わたしたちは生きる目的、存在理由、そして本当の幸福を手にすることが出来る かも知れませんよ。
 最初から定められていた、全知全能なる神さまのご計画に目を向けてみましょう。